その花ははじめ、淡かった。
けれど次第に妖艶さを増し、散る直前がもっとも色濃くなる。そこに夕映えもくわわれば、浮世をおおいつくしてしまうほどの幻想が訪れる。その現象の名を、原因を、球根を植え替えられる以前の逢坂りこはまだ知らなかった。
それは鉢と球根の比率が合わずにやきもきしていた頃
――具体的にはグレゴリオ暦二〇一二年のクリスマス・イヴ――
少女の逢坂りこは小さなライブハウスで、煙にまみれ、多彩な照明に射されながら、踊っていた。崇拝や信仰を可視化した「アイドル」という偶像の役割を担って。「サイリューム」という棒状の化学発光の照明具を前に後ろにとふり回す男たちを前にして。『聖夜のマジカル・りこぴん・パーティ』と銘打って。
逢坂りこは「りこぴん」というあだ名で親しまれ、プロフィールの好きな食べ物欄に「トマト」と表記させられていた。しかしその頃、言葉や名前の多くは商業目的に濫用され、本来の力が失われた形骸にすぎなかった。逢坂りこは特別に「トマトが好き」なわけでもなかったのだ。
「もしもきみが、許してってなげく、ならばあたしは、きみの呪いに、魔法をかけるわ」
などと、アニメーションで流行りの魔女のコスチュームを身に付けて。歌詞の意味もたいして理解していなかったし、発声の訓練を地道に重ねてもいなかったけれど。少女はそれでも、懸命に歌っていた。
「ありがとうの魔法」
彼女は当時にしてはめずらしく、グループを組んではいなかった。当時、世間では「アイドル戦国時代」などとのたまう連中もおり、幾千の少年少女たちが使役され、表舞台に駆り出されていた。特に首都・東京の秋葉原を拠点とした「AKB48」なるグループにいたっては、その派生グループが全国的に配置され、偶像崇拝の栄華を誇っていた。個々の舞踊や歌唱の拙さをごまかすためか、あるいは競争原理を根付かせるためか、大人数で徒党を組ませる方法が主流であった。にもかかわらず、こと逢坂りこにかぎって言えば、単独で舞台上に立っていたのである。
「愛してるの魔法」
彼女の人気はそれほどでもなかった。ほぼ無名といってもよいほどだった。
「百遍も、千遍も、満遍なく、魔法をかけるわ。さあ、いくよ~」
まるでお百度参りだ、と彼女は情熱的に歌いながら、冷静に思っていた。そんな本音をおくびにも出さず、いったい、それらの魔法をあと何回くらいかければ、男たちの嘆きは、ケモノたちの呪いは昇華するのだろうか、と彼女のココロはその頃すでに、辟易していた。
「ありがとう! 愛してる! ありがとう! 愛してる!」
それでもしかし、
「花は虫に向かって咲くんだ」。
――かつて、田舎のひいじいさんが放った言葉だった。ひいじいさんは、信州の伊那谷というところに一人ぼっちで住んでいた。そこは、天竜川に沿って南北に伸び、雄大な山脈に東西を挟まれた自然豊かな盆地だった。
はじめて面会したのは、逢坂りこが六歳で、ひいじいさんが九十三歳のときだった。
そのときもまた少女は両親に車に乗せられて、どうしてそんな辺鄙な場所に向かうのか、なぜ隠居中のひいじいさんを訪ねるのか、いっさいの事情は知らされなかった。知りたいという欲求もまだ少女には芽生えてはいなかったけれど。
「うわぁ、きらきら!」
温泉に一泊した次の早朝だった。どういう経緯だったか、ひいじいさんと二人で、逢坂りこは谷の散策に出かけたのだった。彼女はその途中、東の山の向こうに隠れている太陽が、西の山々の頭だけを照らしている光景を見て、感嘆した。
「谷はただ、待っているんだ。花のように、ただ一ヶ所に、ずっとこうして、輝くときを待っているんだ」
それから、どこに向かって、戻ったのか。ひいじいさんと会ったのはそれ一度きりだったから、いまだに生きているのかさえも分からないままだった。何の報せ(しらせ)もない。けれど、実際のところ――
三回目の「愛してる!」でカラーボールを客席から顔面にぶつけられ、脳震とうを起こして救急車で運ばれるまで、逢坂りこの記憶の中から「伊那谷のひいじいさん」の存在は、すっかり失われていたのである。視神経乳頭にある盲点のように。
あのとき見た草花のきらめきも、食べたおやきのぬくもりも、浸かった温泉のやわらかさも。ひいじいさんの名前も、面影も、
「ほかのことは何を忘れたっていい。だけどただ一つ、忘れないでいてほしい――」
その約束も。
アイドル歌手を目指しはじめたのはその二年後くらいからで、逢坂りこは早熟な精神の持ち主だった。本当のところどうかは不明だが、はた(大人たち)から見ればたしかに、「よくできた子」だったのだ。小学生ですでに「どうふるまえば人が喜ぶか」を認知していたし、「どうふるまうことを人は求めているか」を臨機応変に把握することができた。
周囲の大人たちはみな、従属する者、身分の低い者、権力の弱い者に対し、彼らの思い通りの反応を望んだ。とくに逢坂りこの父と母は、彼女が物心ついてからというもの、娘が「思いのほか」の言動をすることを嫌がった。
母はしばしば「いらいら」していた。だから彼女は一輪車に乗るような感覚で、母親の機嫌に対応する癖がついた。
父はたびたび「いい子にしてるんだよ」と微笑んだ。だから彼女は平均台を歩くような心持ちで、父親の期待に応える習慣がついた。
逢坂りこは、人の心を読む能力に長けていた。天性のものだった。「共感覚」といった超人的な能力ではなくて、国語での「作者の意図」を的確につかめるといった程度の才能にすぎなかったけれど。それはそれで、「よくできた子」の評価を獲得して生存するのに充分役立っていた。
大人たちを喜ばせるのは基本的に、好きだった。放課後に友達と雲梯にぶら下がっているのよりも、ずっと。
自らの言動で彼らが微笑み、安らぎが広がるのを見るのは、純粋に楽しいことだった。その「よさ」に、彼女は何の疑いも抱かなかったし、たとえ「もっと素直に子供らしくしたらいい」と言われたところで、彼女にとっては「えへへ、ありがとうございます」と愛嬌をふりまくのが「素直な自分らしい」在り方だと思っていた。
そして中学二年生のとき、雑誌で見かけた「次世代アイドルオーディション」の記事をたよりに、黒服の男たちの面前へと姿を現したのだった。満を持して。彼女にとってみれば十四歳というその年齢は、むしろ遅すぎるくらいだった。猫はたった一年で成猫になり交尾や妊娠ができるようになるのに。私はああゆうこともそうゆうことも、大人たちと同じように知っているのに。
「この衣装着て、ステージに上がる自信あるかな?」
「はい、もちろん」
胸のふくらみを少し増して、スカートにもふくらみを持たせて、くるりと回れば、下着が見えそうで見えない、絶妙な色気を演出するための衣装だった。それが自身の愛らしさにプラスに働くものだと、逢坂りこは一目見て感じ取った。
「ファンの方々が喜んでくれるのなら、私は何だってしてみせます。もちろん、期待を裏切らない程度に、ですけどね」
黒服の男たちはその「満点の言葉」に舌なめずりをした。そして逢坂りこを単独で売り出すことを英断したのだった。「費用対効果」を鑑みて。
父と母は予想通り、「もちろん、あなたのやりたいことなら、全力で応援する」と言って、その浮かれ様は、事務所との契約の日に赤飯を炊いてお祝いしたほどだった。
そうしてとんとん拍子で偶像となった逢坂りこはお百度参りのような三年間にわたるライブを経て、イエス・キリストが生まれてから二〇一二年経ったとされる(そう信じられている)聖なる夜に、救急車中の寝台で、いくつかの混濁した夢を見た。
――なんだかんだ言っても結局、あんたは大人たちを馬鹿にしていたのよ。
――可哀想なファンの方々の欲望とコンプレックスで汚れた心を、愛の魔法で癒して差し上げるのはさぞ、愉悦だったろうに。
――意外と、人気、出なかったね。残念。
「ああ、うるさい」
『聖夜のマジカル・りこぴん・パーティ』の会場の騒音は、まだ耳の奥で鳴り止んでいなかった。よく分からない歌詞に、よく分からない観客の声援に。あんなに聞き分けのよかった女の子が、いったいどうして、いつの間に――
それでもだから、
「花は虫に向かって咲かなければならないんだ」。
私は、花なのだ。
可憐でいとしい、誰もが見惚れる、私の蜜を求めて民衆が群がる、一輪の真っ赤なバラ――
それこそが、逢坂りこという少女をアイドルへと駆り立てた、もっとも根本的な「思い込み」だった。「信念」であった。
「思い」というものは、たとえその本質がダリアだろうがリコリスだろうがフリージアだろうが、子供たちが自らその植え時を選択できるものではない。たとえ、どんなに特殊な才能に恵まれようとも。どんなに沢山の本を読み、海のような深い愛情を注がれようとも。子供たちに、自分の「思い」を選択する権限は与えられていなかった。それは危険なカラーボールを安全な雨粒には変えられないように、宿命的に決定的なものだった。
「うるさい。だまれ」
逢坂りこの核心が、彼女の混濁した意識の中で、そう命令した。
「私は、何だってしてみせるんだ。ファンのみんなが喜ぶなら、何だって」
少女は頭部を「コンピュータ断層撮影」されながら、考えた。すでに回復した清明な意識の中で、知る限りの淫乱で過激な描写を次から次へと並べて、一つの定型の物語を組み立てた。思っていたよりもその浮輪みたいな機械の中は静かで、何だか虚しかった。けれどその妄想が白服の大人たちに読み取られるのは裸を見られるのよりも、性器をまさぐられるのよりも、恥ずかしいことだった。
「大丈夫ですよ。特に異常は見当たりませんでした」
逢坂りこはそれを聞いて、ほっとした。X線によって、「無邪気な少女」の中で渦巻いた「邪悪な映像」が覗かれてはいなかったことに。
「ですが、一つ聴いておかなければならないことが」
「はい、何でしょう?」
「脳震盪を起こしたとき、意識の完全になくなったという時間が、少しでもありましたか」
「ええと、それは……」
完全なる消失があったのか、なかったのか、正直なところ、逢坂りこには分からなかったけれど。
「たぶん、なかったと思います」
たぶん、あった。けれど直感的に、そう答えるのが無難、だという気がした。
「そうですか。それはよかった。それでは念のため一泊入院して、その後一週間くらい、お休みをとって安静にしておいてください」
「え……どうして一週間も?」
年末年始には、またそれ相応の盛大なライブイベントがあったのだ。歌って踊って魔法をかけるアイドルが一週間も安静にしていられるはずがなかった。
どうして?
「脳震盪にはガイドラインがありましてね、完全に回復していない間にもう一度強い力がくわわると、脳に水分が溜まって、最悪の場合、死んでしまうケースもあるんです。それで、当院では一週間、患者さんにどんな競技も中止にしてもらっています」
「そんな……」
「もしも意識消失があったという重症の場合、もう少し精密に検査をし、もう少し長く入院してもらうことになっていたかもしれませんよ?」
脅しか。眼前の白服の大人は見抜いていた。
「一週間も大人しく安静にしていられるはずがない」という逢坂りこの思い込みを。そしてその思い込みの先に、どんな壁があり、どんな落とし穴があり、最終的にどこに至るか、という道筋さえも。盲腸の手術の手順を思い浮かべるよりもたやすく。
逢坂りこの「信念」のゴールは見抜かれていた。実のところ、彼女自身にさえも。
「なんか……ろくでもないですね」
――私の人生って。
「はい?」
「いえ、何でも。分かりました。きちんとお休みしてみます。一週間」
「はい。是非そうしてください。あなたはまだお若いのだから、これから何度でも生まれ変われるはずですよ」
そんなことを恥ずかしげもなく赤の他人に言う医師がいったい、この浮世にいるのだろうか。
「ふふっ、そうですね。ありがとうございます」
いたのだ。実際に――
「お大事に」
こうして彼女の思念は一旦、雲散霧消して、また新たな「信念のタネ」を探し求める必要が生じてきた。今度は、自らの頭よりも、自らの胸で、自らの子宮で、一から選び直すべきであった。
いや、〇から。
十七歳にしてその「選択の自由」と遭遇した逢坂りこは、ほんの少し特別に恵まれていたのかもしれないし、あるいはそれはもうすでに、幾ばくかの転生を経てきた結果なのかもしれなかった。
世界はそこはかとなく、誤魔化しがきかないような気がした。