○東京下町
その少し寂れた風景――
しかし子供たちは楽しげに、駆け回っている。
○下町文化小劇場・外観
小さな、しかし近代的なビル。
入口に「劇団マタタブロー第三回公演、『三十三の叫び』」のポスターを 張った表看板が立っている。
演出・脚本・主演「志藤未絵」が大きな文字と奇抜な画像で表されてある。
タマコの叫び声「私はもう!」
○同・ホール内
リビングのような簡素な舞台装置が組まれた、狭い舞台上に、タマコ役の志藤未絵(33)がスポットライトを浴びて立っている。
タマコ「(観客に向かって)三十三なのよ!」
恋人のタクロー役である名護由基人(30)は血まみれでテーブルに突っ伏している。
タマコの手には血の滴る包丁が握られている。
タマコ「だから私は結婚を断ったあんたを殺したの! だからどうか……どうか私 を恨まないで。あの世で私が幸せになるように祈っていて。お願い、これが私の、あんたへの最後のワガママ」
客席の数少ない観客たち、引いている。
突然、携帯電話の着信音が鳴り響く。
観客たちがポケットや荷物を漁るが、その音は舞台上のタクローの携帯電話からであって。
タマコ「!」
慌てて血まみれタクローのポケットをまさぐり、携帯電話を取り出す。
タマコ「……(表示を見て)ユミ?」
応対する。と、
ユミの声「もういいかぁい?」
タマコ「え?」
舞台袖からドアを開けて、ユミ(役の津久田まどか(29))とアキラ(役の山野直秀(32))が入ってきて、「パン!」とクラッカーを鳴らす。
タマコ「え…?」
ユミ・アキラ「おめでと……! え…?」
タマコ「なに、これ…?」
とクラッカーテープを示して。
ユミ・アキラ「なに、それ…?」
と血ぬられた包丁を示して。
タマコ、咄嗟に包丁を後ろ手に隠す。
ユミ「タ、タマコ、あんた……」
タマコ「ど、どうしたの急に? 何の用?」
ユミ「あんた……今日が何の日か、わかってる?」
タマコ「今日…?」
アキラ「お前とタクローの付き合って十年の記念日だろ!」
タマコ「……(震え)」
アキラ「それなのにお前は……何やってんだよ!」
タマコの右腕をつかみ上げる。
タマコ「だ、だって……」
アキラ「ユミ、警察」
ユミ「う、うん」
慌てて携帯電話を取り出す。
タマコ「(大声)だってもう!」
アキラを頭突き、急いでドアを後ろ手に閉める。
タマコ「何もかも、取り返しがつかないのよ!」
とアキラを包丁で襲う。
激しい音楽と赤い照明が観客に浴びせかけられる。
ユミの悲鳴。タマコの叫び。
ユミを襲おうとしたところで、暗転。
○同・入口ロビー
不機嫌そうに去っていく観客たち。
急いで駆けてきて、
未絵「ありがとうございました!」
と頭を下げて見送る。
と、アンケート用紙が差し出される。
未絵「あ、どうもあり…!」
ちらとその目に入った「野暮」の文字。
顔を上げると、着物(紋付)姿の香田あかり(50)が立っている。
あかり「いい声してんだけどねぇ」
未絵「(悔しい)」
あかり「そいじゃ、また」
と去る。
未絵「ちょっと、お客さん。待って」
あかりは手をちょいと挙げただけ。
未絵、あかりを慌てて追いかける。
未絵「あのぅ!」
あかり「(立ち止まり)何か忘れ物でもしたかしらね」
未絵「いえ。あの、一つお聞きしたいんですけど」
あかり「はい、何でしょう」
未絵「私の舞台、どうしたらもっと良くなりますか? 何でもいいんです、どこかどう『野暮』なのか教えてくれませんか?」
あかりから受け取ったアンケート用紙を示して。
あかり「(ため息)」
未絵「私、三十五でひとかどになれなかったら四国の田舎に帰るって両親と約束したんです! もうあと一年と九ヶ月しかないんです!」
あかり「あたしには何の関係もないけれど」
未絵「でも」
あかり「一つアドバイスするとすれば」
未絵「あ、はい」
あかり「それが『野暮』ってことさね」
未絵「え?」
あかり「はい、これ。夜席でよかったら」
簡素なビラを差し出す。
未絵「(受取り)これ、今日……」
あかり「芸は道連れ世は情け。あらちょっと違ったかね、まあいいわ、そいじゃまた」
未絵「……」
呆気にとられ、あかりの去り姿を見つめる。
「ありがとうございました!」と言って頭を上げた名護が、その未絵の後ろ姿を横目で見つめる。
未絵「(振り向いて目が合い)名護くん、ごめん」
名護「どした、未絵?」
未絵「打ち上げ、出れない」
名護「は?」
○お江戸日本橋亭・前(夜)
「香田あかり」などの演者がのった表看板の前に走ってきて、立ちつくす、未絵。
未絵「……(ごくりと唾を飲み)」
あかりにもらった「講談夜席」のビラを見て、日本橋亭を見上げる。
未絵「……ちっちゃ」
○メインタイトル『華よりパン!』
張扇が釈台を叩く「パン!」という音が響く。
○お江戸日本橋亭・演芸場(夜)
講談はすでに始まっていて。高座ではあかりが『馬鹿退治』を講じている。
あかり「(張扇叩き)何故貴様はそのようなことをいたしたのか。生涯の恥辱! 赦してはおけぬ~」
恐る恐る入って来る未絵。
あかり「貴様は日本一の大馬鹿者だ! とその手に持っていた鍬を小僧の脳天に振り下ろしましたところ、(叩)見物人たちがわぁっと出て参りまして、間一髪、小僧の命は助かったのでございます。(叩)仏道は釈迦に問え、儒道は孔子に問え、武道は我に問え。とはさもありなん。愚か者が慢心し、道を誤り邁進するほど、恐ろしいことはございません」
未絵、客席の最後尾に立ったまま、聞いていた。
あかり「えーこの後もっと面白い話が続きますが、時間も限りがございます。香田あかりによります『馬鹿退治』の一席、これにて読み終わりといたします」
幕が閉じられる。
ブザー音の鳴る中、未絵のポケットの中で、携帯電話のバイブが鳴っている。
未絵は興奮していて気づかない。
○居酒屋「呑んべぇ」・内(夜)
名護が携帯電話をかけている。
名護「(顔をしかめて)ダぁメだ」
飲みさしのビールジョッキが置かれたテーブルを挟んで、山野とまどかが肩をすくめる。他、音響と照明スタッフの竹井と笹部がいる。
名護「(酔っている)っと、何してんだろ」
まどか「打ち上げなのに」
山野「座長がいねぇなんてな」
一同、ため息をつく。
竹井「あの、これ」
数十枚のアンケート用紙をバッグから取り出し、裏向けでテーブルに上げる。
山野「うおっ、出た!」
まどか「恐怖のアンケート」
名護「なぁに言ってんだよ、今回はけっこういいこと……」
とアンケートを手に取って目を通し、
名護「……あれ、五回も公演やってこんなちょっとしかねぇの?」
竹井「え、まあ」
笹部「わざわざ回答してくれるだけでもありがたいことですよ」
まどか「ですよね。由基人くん、まどかにも」
と手を伸ばすと、名護はアンケートを慌てて背後に隠す。
まどか「え」
名護「あ、いや……見ないほうがいいと思う、うん」
山野「お前」
名護「ん?」
山野「酔い、醒めたのか」
名護「え……(わざとらしくウッともどしそうになって)ちょっと俺、外の風当たってくるわ」
山野「お、おう」
名護、席を立って出ていく。
まどか「由基人くん、大丈夫かな……」
山野「あいつ、今回の公演に懸けてたからな」
まどか「彼ももう三十だし、身の振り方を真剣に考える時期なのかも。まどかだってもうすぐ……」
山野「俺、三十二だけど」
他一同、咳ばらいをする。
山野「またバイトクビになったけど」
他一同、ビールを飲む。
山野「何だよ!」
他一同、ビールジョッキを置く。
○同・前(夜)
店看板の灯りを背にした名護。
その手に持ったアンケート用紙には「金返せ」「至極不快」「芝居ごっこ」など辛辣な意見が踊っていて――
名護「未絵のやつ、何やってんだよ……」
両手を震わせ、
名護「ちくしょう!」
とアンケート用紙を地面に叩きつける。
○江戸通り(夜)
あかりとその弟分の香田青山(47)が着物姿で帰路についている。
青山「そうは言うけどねあねさん、あねさんこそ今夜はちと調子がノッてなかったんじゃないですかい」
あかり「青山、あんたあたしにいつそんな口がきけるようになったんだい、年取るってヤだねぇ」
青山「長年やってんで、口応えの一つや二つ、勘弁してやってください。追っかけまで出るようになったんでさ」
あかり「何だい、追っかけって?」
青山、「ほれ」と後ろを向く。つられてあかりも後ろを向く。
と、未絵が驚いて物陰に隠れる。
あかり「また厄介なモンに」
青山「憑かれましたかね」
あかり「ばか、あたしの憑きもんだ。ちょいとお祓いしてくる。あんたは先帰っといで」
青山「何をおっしゃる、お化け退治を黙って見過ごす噺家がどこにいますか」
あかり「姉弟子をネタにするんじゃないよ、ったく」
と未絵に近づいて、
あかり「あんたねぇ……」
未絵「は、はい」
と物陰から顔を出す。
あかり「いきなり刺したりしないだろうね?」
未絵「な、そんなことするわけないじゃないですか!」
あかり「だったらどうして後なんかつけてきたんだい」
未絵「それは、あの、その……」
あかり「用がないなら、これで」
と、去りかけたところ、
未絵「でっ、弟子にしてください!」
あかり「は…?」
青山「おーおーおったまげた」
未絵「お、お願い、します……」
あかり「豆鉄砲食っちまったよ」
青山「しかし、いわくつきのあねさんに新弟子とは。こりゃ見物じゃねぇか」
あかり「水を差されるのもヤだね。おっと、丁度よきところ」
と、手を挙げてやって来たタクシーを停める。あかり、それに乗り込む。
あかり「若いの、乗りな」
未絵「え?」
青山「ちょいとあねさん」
あかり「ったく、ノリ悪いね」
未絵の腕をつかみ、タクシーに引きずりこむ。
青山「そりゃないよ」
あかりと未絵を乗せて、タクシーのドアが閉じられ、発進する。
青山「あーらら……また修羅場になんなきゃいいけどね。さて、庶民は大人しく電車で帰りますよっと」
駅の方へ飄々と歩いてゆく。
○タクシー・車内(夜)
後部座席にあかりと未絵。
あかり「人形町のほうへ向かってもらえる?」
運転手「かしこまりました」
どかと腰を据えて、
あかり「それで?」
未絵「えっと、あなたの講談を聴かせて頂きまして、その、何というか、全身にビビっと電流が走ったと言いますか」
あかり「運命を感じたってわけかい?」
未絵「はい、そうです、その通り。私がこの芝居の道を歩み始めたとき受けた衝撃と同じくらいの、いえそれ以上の衝撃でした」
あかり「だから弟子入りしたいってのかい」
未絵「あ、はい」
あかり「仮にあたしの弟子になったとして、あんたどうしたい?」
未絵「私もあんな風に、この身一つでもっと色んなことを伝えたいんです」
あかり「たとえば?」
未絵「たとえば、人として大切なメッセージとか」
あかり「三十路過ぎにしちゃ、ちと夢見過ぎだねぇ、あんた」
未絵「そ、それは……(言葉に詰まる)」
あかり「まあいいさ。運転手さん、そこの細道左に入って。そしたらその辺りで停めてちょうだい」
運転手「かしこまりました」
未絵「え、もう?」
あかり「タクシーで家まで帰るほどあたしゃ金持ちじゃないからね」
未絵「でも、話はまだ……」
あかり「この話は終わり。代わりに土産話をやるよ」
未絵「え?」
タクシーの速度が落ちる。
○出世稲荷神社(夜)
あかりの後について歩いてくる未絵。
マンションの駐輪場の前に、「出世稲荷神社」の赤い幟と石標を見て止まる。
未絵「何ですかこれ?」
少し抑えた声量で、
あかり「時は元和三年、北条家浪人庄司甚右衛他数名の仮屋敷内に京都伏見稲荷より祭神を戴き守護神として奉るがこの由緒」
未絵「はあ」
参道を拝殿へと進みながら、
あかり「江戸時代初代市川団十郎が日参し名をあげてより出世稲荷神社と、こう称されるようになったのだそうで――」
未絵「へえ」
拝殿の前まで来て、
あかり「以来、商家・芸能その他何でも来い、とばかりに数多くのこの信仰者が出世を果たしたのでございます」
未絵「すごい。じゃあ私も」
と財布から小銭を出して投げ、紐をつかみ鈴を鳴らす。
あかり「(見ていて)ガサツな女だねぇ」
未絵「(口を尖らせ)父親由来でございます」
と手を叩き、祈る。
あかり「初めての神前で願をかける時には、必ず自分の素性を告げること。あんたの親はそんなことも教えてくれなかったのかい」
未絵「えー、生まれはうどん県香川の善通寺。名を志藤未絵と申します。世間知らずで無鉄砲は母譲り」
あかり、苦笑して、二礼、二拍手。
○人形町駅・前(夜)
あかりが足早に歩いてくる。
未絵「ちょっと待ってくださいよ師匠」
と追っかけてくる。
あかり「あたしがいつあんたの師匠になった」
未絵「ついさっき二分ほど前です」
あかり「あんた、自分勝手もいいかげんにしないと」
未絵「自分勝手でここまで来たんです!」
あかり、立ち止まる。
未絵「もう芸の道から引き返したくないし、引き返せないんです……十年……女二十代の十年は、それほど重いものだったんです、だから…!」
張扇を突き出して未絵の言葉を制し、
あかり「師匠ってやつはね、背負った弟子の人生ぜんぶ責任とる覚悟でやるもんだ。そんな重いあんたの人生、このあたしに背負えると思うかい。え?」
未絵「思います!」
互いの視線を見据えて――
あかり「……(先に逸らす)話にならないよ。お疲れさん、またね」
と改札口へ消えてゆく。
未絵「……またね……?」