【シナリオコンクール入賞作】華よりパン!

シナリオコンクール入賞作(準グランプリ)です。シナリオセンターが太鼓判!のシナリオです。

人生の岐路に立たされたとき、人生の選択に迷ったときに、勇気がでるシナリオです!
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【シナリオコンクール入賞作】華よりパン! 起

○東京下町

その少し寂れた風景――

しかし子供たちは楽しげに、駆け回っている。

 

○下町文化小劇場・外観

小さな、しかし近代的なビル。

入口に「劇団マタタブロー第三回公演、『三十三の叫び』」のポスターを  張った表看板が立っている。

演出・脚本・主演「志藤未絵」が大きな文字と奇抜な画像で表されてある。

タマコの叫び声「私はもう!」

 

○同・ホール内

リビングのような簡素な舞台装置が組まれた、狭い舞台上に、タマコ役の志藤未絵(33)がスポットライトを浴びて立っている。

タマコ「(観客に向かって)三十三なのよ!」

恋人のタクロー役である名護由基人(30)は血まみれでテーブルに突っ伏している。

タマコの手には血の滴る包丁が握られている。

タマコ「だから私は結婚を断ったあんたを殺したの! だからどうか……どうか私  を恨まないで。あの世で私が幸せになるように祈っていて。お願い、これが私の、あんたへの最後のワガママ」

客席の数少ない観客たち、引いている。

突然、携帯電話の着信音が鳴り響く。

観客たちがポケットや荷物を漁るが、その音は舞台上のタクローの携帯電話からであって。

タマコ「!」

慌てて血まみれタクローのポケットをまさぐり、携帯電話を取り出す。

タマコ「……(表示を見て)ユミ?」

応対する。と、

ユミの声「もういいかぁい?」

タマコ「え?」

舞台袖からドアを開けて、ユミ(役の津久田まどか(29))とアキラ(役の山野直秀(32))が入ってきて、「パン!」とクラッカーを鳴らす。

タマコ「え…?」

ユミ・アキラ「おめでと……! え…?」

タマコ「なに、これ…?」

とクラッカーテープを示して。

ユミ・アキラ「なに、それ…?」

と血ぬられた包丁を示して。

タマコ、咄嗟に包丁を後ろ手に隠す。

ユミ「タ、タマコ、あんた……」

タマコ「ど、どうしたの急に? 何の用?」

ユミ「あんた……今日が何の日か、わかってる?」

タマコ「今日…?」

アキラ「お前とタクローの付き合って十年の記念日だろ!」

タマコ「……(震え)」

アキラ「それなのにお前は……何やってんだよ!」

タマコの右腕をつかみ上げる。

タマコ「だ、だって……」

アキラ「ユミ、警察」

ユミ「う、うん」

慌てて携帯電話を取り出す。

タマコ「(大声)だってもう!」

アキラを頭突き、急いでドアを後ろ手に閉める。

タマコ「何もかも、取り返しがつかないのよ!」

とアキラを包丁で襲う。

激しい音楽と赤い照明が観客に浴びせかけられる。

ユミの悲鳴。タマコの叫び。

ユミを襲おうとしたところで、暗転。

 

○同・入口ロビー

不機嫌そうに去っていく観客たち。

急いで駆けてきて、

未絵「ありがとうございました!」

と頭を下げて見送る。

と、アンケート用紙が差し出される。

未絵「あ、どうもあり…!」

ちらとその目に入った「野暮」の文字。

顔を上げると、着物(紋付)姿の香田あかり(50)が立っている。

あかり「いい声してんだけどねぇ」

未絵「(悔しい)」

あかり「そいじゃ、また」

と去る。

未絵「ちょっと、お客さん。待って」

あかりは手をちょいと挙げただけ。

未絵、あかりを慌てて追いかける。

未絵「あのぅ!」

あかり「(立ち止まり)何か忘れ物でもしたかしらね」

未絵「いえ。あの、一つお聞きしたいんですけど」

あかり「はい、何でしょう」

未絵「私の舞台、どうしたらもっと良くなりますか? 何でもいいんです、どこかどう『野暮』なのか教えてくれませんか?」

あかりから受け取ったアンケート用紙を示して。

あかり「(ため息)」

未絵「私、三十五でひとかどになれなかったら四国の田舎に帰るって両親と約束したんです! もうあと一年と九ヶ月しかないんです!」

あかり「あたしには何の関係もないけれど」

未絵「でも」

あかり「一つアドバイスするとすれば」

未絵「あ、はい」

あかり「それが『野暮』ってことさね」

未絵「え?」

あかり「はい、これ。夜席でよかったら」

簡素なビラを差し出す。

未絵「(受取り)これ、今日……」

あかり「芸は道連れ世は情け。あらちょっと違ったかね、まあいいわ、そいじゃまた」

未絵「……」

呆気にとられ、あかりの去り姿を見つめる。

「ありがとうございました!」と言って頭を上げた名護が、その未絵の後ろ姿を横目で見つめる。

未絵「(振り向いて目が合い)名護くん、ごめん」

名護「どした、未絵?」

未絵「打ち上げ、出れない」

名護「は?」

 

○お江戸日本橋亭・前(夜)

「香田あかり」などの演者がのった表看板の前に走ってきて、立ちつくす、未絵。

未絵「……(ごくりと唾を飲み)」

あかりにもらった「講談夜席」のビラを見て、日本橋亭を見上げる。

未絵「……ちっちゃ」

 

○メインタイトル『華よりパン!』

張扇が釈台を叩く「パン!」という音が響く。

 

○お江戸日本橋亭・演芸場(夜)

講談はすでに始まっていて。高座ではあかりが『馬鹿退治』を講じている。

あかり「(張扇叩き)何故貴様はそのようなことをいたしたのか。生涯の恥辱! 赦してはおけぬ~」

恐る恐る入って来る未絵。

あかり「貴様は日本一の大馬鹿者だ! とその手に持っていた鍬を小僧の脳天に振り下ろしましたところ、(叩)見物人たちがわぁっと出て参りまして、間一髪、小僧の命は助かったのでございます。(叩)仏道は釈迦に問え、儒道は孔子に問え、武道は我に問え。とはさもありなん。愚か者が慢心し、道を誤り邁進するほど、恐ろしいことはございません」

未絵、客席の最後尾に立ったまま、聞いていた。

あかり「えーこの後もっと面白い話が続きますが、時間も限りがございます。香田あかりによります『馬鹿退治』の一席、これにて読み終わりといたします」

幕が閉じられる。

ブザー音の鳴る中、未絵のポケットの中で、携帯電話のバイブが鳴っている。

未絵は興奮していて気づかない。

 

○居酒屋「呑んべぇ」・内(夜)

名護が携帯電話をかけている。

名護「(顔をしかめて)ダぁメだ」

飲みさしのビールジョッキが置かれたテーブルを挟んで、山野とまどかが肩をすくめる。他、音響と照明スタッフの竹井と笹部がいる。

名護「(酔っている)っと、何してんだろ」

まどか「打ち上げなのに」

山野「座長がいねぇなんてな」

一同、ため息をつく。

竹井「あの、これ」

数十枚のアンケート用紙をバッグから取り出し、裏向けでテーブルに上げる。

山野「うおっ、出た!」

まどか「恐怖のアンケート」

名護「なぁに言ってんだよ、今回はけっこういいこと……」

とアンケートを手に取って目を通し、

名護「……あれ、五回も公演やってこんなちょっとしかねぇの?」

竹井「え、まあ」

笹部「わざわざ回答してくれるだけでもありがたいことですよ」

まどか「ですよね。由基人くん、まどかにも」

と手を伸ばすと、名護はアンケートを慌てて背後に隠す。

まどか「え」

名護「あ、いや……見ないほうがいいと思う、うん」

山野「お前」

名護「ん?」

山野「酔い、醒めたのか」

名護「え……(わざとらしくウッともどしそうになって)ちょっと俺、外の風当たってくるわ」

山野「お、おう」

名護、席を立って出ていく。

まどか「由基人くん、大丈夫かな……」

山野「あいつ、今回の公演に懸けてたからな」

まどか「彼ももう三十だし、身の振り方を真剣に考える時期なのかも。まどかだってもうすぐ……」

山野「俺、三十二だけど」

他一同、咳ばらいをする。

山野「またバイトクビになったけど」

他一同、ビールを飲む。

山野「何だよ!」

他一同、ビールジョッキを置く。

 

○同・前(夜)

店看板の灯りを背にした名護。

その手に持ったアンケート用紙には「金返せ」「至極不快」「芝居ごっこ」など辛辣な意見が踊っていて――

名護「未絵のやつ、何やってんだよ……」

両手を震わせ、

名護「ちくしょう!」

とアンケート用紙を地面に叩きつける。

 

○江戸通り(夜)

あかりとその弟分の香田青山(47)が着物姿で帰路についている。

青山「そうは言うけどねあねさん、あねさんこそ今夜はちと調子がノッてなかったんじゃないですかい」

あかり「青山、あんたあたしにいつそんな口がきけるようになったんだい、年取るってヤだねぇ」

青山「長年やってんで、口応えの一つや二つ、勘弁してやってください。追っかけまで出るようになったんでさ」

あかり「何だい、追っかけって?」

青山、「ほれ」と後ろを向く。つられてあかりも後ろを向く。

と、未絵が驚いて物陰に隠れる。

あかり「また厄介なモンに」

青山「憑かれましたかね」

あかり「ばか、あたしの憑きもんだ。ちょいとお祓いしてくる。あんたは先帰っといで」

青山「何をおっしゃる、お化け退治を黙って見過ごす噺家がどこにいますか」

あかり「姉弟子をネタにするんじゃないよ、ったく」

と未絵に近づいて、

あかり「あんたねぇ……」

未絵「は、はい」

と物陰から顔を出す。

あかり「いきなり刺したりしないだろうね?」

未絵「な、そんなことするわけないじゃないですか!」

あかり「だったらどうして後なんかつけてきたんだい」

未絵「それは、あの、その……」

あかり「用がないなら、これで」

と、去りかけたところ、

未絵「でっ、弟子にしてください!」

あかり「は…?」

青山「おーおーおったまげた」

未絵「お、お願い、します……」

あかり「豆鉄砲食っちまったよ」

青山「しかし、いわくつきのあねさんに新弟子とは。こりゃ見物じゃねぇか」

あかり「水を差されるのもヤだね。おっと、丁度よきところ」

と、手を挙げてやって来たタクシーを停める。あかり、それに乗り込む。

あかり「若いの、乗りな」

未絵「え?」

青山「ちょいとあねさん」

あかり「ったく、ノリ悪いね」

未絵の腕をつかみ、タクシーに引きずりこむ。

青山「そりゃないよ」

あかりと未絵を乗せて、タクシーのドアが閉じられ、発進する。

青山「あーらら……また修羅場になんなきゃいいけどね。さて、庶民は大人しく電車で帰りますよっと」

駅の方へ飄々と歩いてゆく。

 

○タクシー・車内(夜)

後部座席にあかりと未絵。

あかり「人形町のほうへ向かってもらえる?」

運転手「かしこまりました」

どかと腰を据えて、

あかり「それで?」

未絵「えっと、あなたの講談を聴かせて頂きまして、その、何というか、全身にビビっと電流が走ったと言いますか」

あかり「運命を感じたってわけかい?」

未絵「はい、そうです、その通り。私がこの芝居の道を歩み始めたとき受けた衝撃と同じくらいの、いえそれ以上の衝撃でした」

あかり「だから弟子入りしたいってのかい」

未絵「あ、はい」

あかり「仮にあたしの弟子になったとして、あんたどうしたい?」

未絵「私もあんな風に、この身一つでもっと色んなことを伝えたいんです」

あかり「たとえば?」

未絵「たとえば、人として大切なメッセージとか」

あかり「三十路過ぎにしちゃ、ちと夢見過ぎだねぇ、あんた」

未絵「そ、それは……(言葉に詰まる)」

あかり「まあいいさ。運転手さん、そこの細道左に入って。そしたらその辺りで停めてちょうだい」

運転手「かしこまりました」

未絵「え、もう?」

あかり「タクシーで家まで帰るほどあたしゃ金持ちじゃないからね」

未絵「でも、話はまだ……」

あかり「この話は終わり。代わりに土産話をやるよ」

未絵「え?」

タクシーの速度が落ちる。

 

○出世稲荷神社(夜)

あかりの後について歩いてくる未絵。

マンションの駐輪場の前に、「出世稲荷神社」の赤い幟と石標を見て止まる。

未絵「何ですかこれ?」

少し抑えた声量で、

あかり「時は元和三年、北条家浪人庄司甚右衛他数名の仮屋敷内に京都伏見稲荷より祭神を戴き守護神として奉るがこの由緒」

未絵「はあ」

参道を拝殿へと進みながら、

あかり「江戸時代初代市川団十郎が日参し名をあげてより出世稲荷神社と、こう称されるようになったのだそうで――」

未絵「へえ」

拝殿の前まで来て、

あかり「以来、商家・芸能その他何でも来い、とばかりに数多くのこの信仰者が出世を果たしたのでございます」

未絵「すごい。じゃあ私も」

と財布から小銭を出して投げ、紐をつかみ鈴を鳴らす。

あかり「(見ていて)ガサツな女だねぇ」

未絵「(口を尖らせ)父親由来でございます」

と手を叩き、祈る。

あかり「初めての神前で願をかける時には、必ず自分の素性を告げること。あんたの親はそんなことも教えてくれなかったのかい」

未絵「えー、生まれはうどん県香川の善通寺。名を志藤未絵と申します。世間知らずで無鉄砲は母譲り」

あかり、苦笑して、二礼、二拍手。

 

○人形町駅・前(夜)

あかりが足早に歩いてくる。

未絵「ちょっと待ってくださいよ師匠」

と追っかけてくる。

あかり「あたしがいつあんたの師匠になった」

未絵「ついさっき二分ほど前です」

あかり「あんた、自分勝手もいいかげんにしないと」

未絵「自分勝手でここまで来たんです!」

あかり、立ち止まる。

未絵「もう芸の道から引き返したくないし、引き返せないんです……十年……女二十代の十年は、それほど重いものだったんです、だから…!」

張扇を突き出して未絵の言葉を制し、

あかり「師匠ってやつはね、背負った弟子の人生ぜんぶ責任とる覚悟でやるもんだ。そんな重いあんたの人生、このあたしに背負えると思うかい。え?」

未絵「思います!」

互いの視線を見据えて――

あかり「……(先に逸らす)話にならないよ。お疲れさん、またね」

と改札口へ消えてゆく。

未絵「……またね……?」

【シナリオコンクール入賞作】華よりパン! 承Ⅰ

○荒川べり

総務線の電車が走ってゆく。

堤防近くの地べたに腰を下ろしている未絵、名護、まどか、山野。

未絵「と、いうわけで、私、志藤未絵は『香田またね』という芸名で講談をやっていくことに決めました」

名護「は、またね?」

未絵「うん、たしかに、そう言われた」

名護「え、ギャグ?」

未絵「ううん、マジ」

山野「俺は、いいと思うよ。打ち上げドタキャンしなきゃ」

未絵「ごめん、もうしない、ドタキャン」

まどか「って私は、全然納得できないんですけど」

未絵「べつにぜんぶ納得してもらえなくてもいいよ。でも、私はやるって決めたから、講談」

まどか「そんな勝手に……私たちは未絵さんを信じてついていってるんですよ?」

未絵「だったら、これからも私を信じてついてきてほしい」

まどか「そんな……ちょっと由基人くんからも何か言ってよ」

名護「んと……何ていうか、ききにくいことだけど」

未絵「うん」

名護「コウダンって何?」

未絵「あ……それは」

山野「バカだなお前、アレだろ? 無声映画に合わせてセリフ言ったりするやつだろ? 演劇人がそんなんも知らんでどうする?」

未絵「ちがうよ」

山野「あ?」

未絵「それ、活弁士」

名護・まどか「……」

山野「だったら……何だよ」

未絵「高座でセンス一本、たった一人で色んな話をお客さんに伝えるの。メリハリつけて、面白くね」

名護「それって、落語?」

未絵「みたいなものだと思う。私もまだそんなに知らないけど」

名護「へぇー」

山野「なるほどねぇ」

まどか「……(納得できない)」

未絵「うん……」

遠くで電車が過ぎてゆく。

名護「でさ、肝心なハナシ、劇団マタタブローはどうすんの?」

未絵「もちろん」

と立ち上がって、

未絵「続けるよ、やめない」

まどか「続けられますかね、そんな二足のワラジ」

未絵「やるよ、頑張る。講談もね、芝居のためなの」

まどか「芝居の?」

未絵「うん、ほら、私のセリフの田舎なまり。あれだってきっと直ると思う。なにしろ講談って抑揚をこ~んなつけて喋るんだから」

名護「そんなら俺は」

と立ち上がって、

名護「これまで通り、未絵のことを信じるだけだ」

未絵「名護くん……」

名護「もう俺たち学生の頃からの腐れ縁だろ、しょーがねぇよ。な?(山野に)」

山野「お?(立ち上がり)おうよ」

名護「ほら何だっけ最初の目標」

山野「観客動員数千人突破!」

未絵「それから十年経って……」

名護「言うな、まだ夢の途中だろ」

未絵「うん、だから、さ。変革、てゆうか脱皮? うん、脱皮するために、やるの、講談」

まどか「んー、まどかは」

と立ち上がり、

まどか「みんなと違って、途中から入ったし、そんな手放しで未絵さんに賛同できません」

未絵「そっか」

まどか「でも。まどかだってまだアイドルもお嫁さんもあきらめられないし。未絵さん」

未絵「はい」

まどか「どうぞ、お好きに」

未絵「まどかちゃん……」

まどか「もう座長、時間がもったいない。早く稽古始めましょ」

未絵「(頷き)さあそれでは、いつかでっかいホールで演じる夢を見越して、向こう岸のお客さんまで声が届くように、まず発声から。行くよ」

一同「あー!」

 

○とんかつ屋「だるま」・店内(夜)

かつが油で揚げられている。

カウンター内、割烹着姿で接客をしている未絵。

未絵「いらっしゃいませー」

と客にお茶を置く。

客「いやぁ、探したよ、ここ」

未絵「え?」

客「元気な美人さんが働いてる美味い店があるって噂でさ、けどなかなか見つけらんなくて」

未絵「(照れて)それはもうホント……あっ」

客「(気づかず)いやぁよかった、それじゃ定番のカツ丼たのむよ」

未絵「あの、お客さん、ここ、どうやって見つけました?」

客「ああ、ネットだよインターネット」

未絵「なるほど、そうですよね。ありがとうございます。それで、ご注文は?」

客「……カツ丼」

未絵「(元気に)はいよ! すぐにお持ちいたします!」

 

○パソコン画面

「日本講談協会」のホームページ。

暗がりの中で未絵、パソコン画面の灯りに照らされ――

「School」をクリック。

場所は「お江戸上野広小路亭」地図、をクリック。

未絵、怪しげな笑みを浮かべる。

 

○お江戸上野広小路亭・外観

午後の賑わい。

交差点を挟んで「お江戸演芸スクール」等の垂れ幕がかかった若草色の建物が見える。

そちらへ未絵、横断歩道を渡ってゆく。

 

○同・2F・受付

法被を着た係員が受付に立っている。

係員「?(と顔を上げる)」

未絵が血気盛んにやって来る。

未絵「(近距離で)香田あかり先生のクラスを受講したいんです!」

係員「初めてでいらっしゃいますか」

未絵「あかり先生とはすでに面識がありますけれども! ええ、初めてと言えば初めてです」

係員「(苦笑)そうですか。一回四千円です」

未絵「え、四千円!?」

係員「六回で二万円というお得なチケットもございますが」

未絵「……(困り顔)」

係員「いかがいたしましょう?」

未絵、財布を出して、中身を探る。

未絵「言い訳は……しません。でも今四千円払えば、私は月末まで生きていくことができません……ほろろ」

係員「ほろろと言われましてもねぇ」

未絵「どうか後生ですから、人情を、人情を……」

と言いながら後ろに下がってゆき――

くるとふり返り、階段を駆け上がってゆく。

係員「ちょ、ちょっと」

カウンターから出て、追いかける。

 

○同・4F・教室

二列に並んだ机に、十数人の生徒が席に着いていて、上手最前席に生徒と向き合うように立ったあかりが資料に目を通している。

さらにその前には、小さな舞台セットがある。

あかり、視線を上げてその先にある時計を見やり、

あかり「それじゃあそろそろ……」

と、張扇を手にしたそのとき、

ドアを開け、飛び込んでくる未絵。

未絵「師匠!」

生徒たち、驚きの声を上げる。

あかり「またあんたかい!」

未絵「私まだ連絡先ももらってなくて、それでネットで探したらここが――」

と、係員に後ろから取り押さえられる。

係員「大人しくしなさい」

未絵「(抵抗)放してください、私はただ」

あかり「(張扇で手を叩き)はいはい、皆様皆様、落ち着いて」

未絵「(すがるように)師匠」

あかり「じゃない!」

生徒たち、ビクとする。

あかり「(笑顔をつくり)けれど、お知り合いではあります。なので、放してやっても大丈夫です」

未絵「(係員に)と、先生がおっしゃってますが?」

係員、手を放し、会釈して去ってゆく。

未絵、笑顔で前方の空いた席まで来て、座る。

一同「……(未絵に注目)」

未絵「あ、私のことはお気になさらず、どうぞ授業を始めてください」

あかり「あんた、どうせ授業料、払ってないんだろう?」

未絵「ここは出世払いで(拝む)」

あかり「仕方ないねぇもぅ。はい、それじゃあ初めましての方も突然、いらっしゃいましたのでね、簡単に自己紹介から(と未絵を見る)」

未絵「あ、はい。(立って)わ、私から――」

あかり「ここは噺家の教室。おもしろおかしくお願いしますね(いたずらな笑顔)」

未絵「(受けて立つという顔をして)えー、私、志に葛藤して未だ叶わぬ理想の絵を追い続けております、志藤未絵と申します。香田あかり先生を追っかけてここまでやって参りました。どうぞご指導のほど、よろしくお願いいたします。志藤、だけに」

生徒たちの顔を見回す。

生徒たち「……」

未絵「……ね」

あかりを見ると、これまたいたずらな笑顔。

未絵「(咳払い)というわけで、女三十三歳、どんな試練も受ける覚悟で講談の扉をパパンと威勢よく叩かせていただきました。あかり先生にはつい先日、香田またね、というありがたい芸名までつけていただき――」

あかり「はぁ?」

未絵「見事一番弟子として……師匠、何か?」

あかり「何だい、そりゃあ。あたしゃ知らないよ、あんたの芸名なんて」

未絵「またまたご冗談を」

あかり「恐ろしい小娘だよ、呆れてものも言えないね。『香田またね』だって! ああ、恐ろしいったらありゃしない」

未絵「めちゃくちゃもの言ってるじゃないですか」

生徒たち、どっと笑う。

あかり「……もうけっこう。次の方、どうぞ」

未絵、ふくれっ面で、着席する。

 

○荒川べり

名護、まどか、山野、土手に川の字に仰向けになっている。

名護「……で?」

まどか「(身を起こし)なに?」

名護「(身を起こし)次回公演、どうする?」

山野「やろーぜ、冬にやろう、クリスマス公演」

まどか「なんですかそれ、超てきとー」

山野「(身を起こし)こっちはいつでもマジだっつの」

名護「(笑って)クリスマス寂しいだけでしょ、ヤマノン」

山野「ヤマノン言うな」

名護「クリスマスはみんな、バイトに恋人に忙しいんだ、誰が三流芝居なんか見に来んだよ、却下」

山野「由基人お前な……仮にも俺は先輩だぞ」

名護「だから何だよ、ヤマノン」

山野「ヤマノン言うなて!」

まどか「(笑う)」

山野「だから、俺の意見も少しは尊重しろっつってんだよ」

名護「もう先輩も後輩もない。俺らの関係性なんざ、とうの昔に失くしちまってんだよ」

まどか「関係性、か……なーんとなく、ずるずる来ちゃってる感はあるよね、たしかに」

山野「でもまどかちゃん、ちゃんと俺には敬語使ってくれてるじゃん、いまだに」

まどか「それは距離を置きたいからです」

山野「え! 嘘!」

まどか「なんて、嘘ですよ」

山野「じゃあバイトも恋人も失くしちまった可哀想なこの俺と付き合ってくれたり?」

まどか「しないですね。百パーありえないですね」

山野「……俺、マッチでも売り歩くかな」

名護、笑う。

山野「由基人ぉ、お前なら買ってくれるよな、俺のマッチ」

名護「どうだか、未絵が欲しいってんなら、俺は買うけどね」

山野「チクショ―どこまで惚れてやがんだ、結婚しちまえよもう」

名護「向こうがそんな気全然ないから(苦笑)」

まどか「由基人くん……」

山野「そろそろはっきりさせる時期なんじゃねぇの、俺らみたいに」

まどか「ここは最初から百パーないけど」

山野「ま……お前らはあるよ、可能性! だから」

名護「うるせぇ、山野」

山野「呼び捨て!?」

名護「さっ(立ち上がって)、あれやこれやの話は置いといて。週に二日の貴重な稽古時間、有意義に使いましょ」

まどか「座長がいなくても?」

名護「うん……座長がいない分まで」

その笑顔は寂しそうで。

生徒一同で張扇を叩く音がして――

 

○お江戸上野広小路亭・4F・教室

生徒一同で『鉢の木』を講じている。

一同「――これより(叩)最明寺殿時頼と(叩)佐野源左エ門常世が(叩)晴れて主従の対面をいたします(叩)謡曲で有名な鉢の木のうち(叩)いざ鎌倉と源左エ門駆けつけの一席(叩)これを以て読み終わりといたします」

未絵「……おぉふ」

と顔を上気させ、その右手に握られた張扇(借り物)を見つめる。

あかり「まあ皆さんご存じのように、実際は張扇をそんなにパンパン連発しませんし、読みの速さも一定では味気ありません」

未絵「はい、わかりました師匠!」

あかり「ここでは先生、と呼んでくださいね志藤さん」

未絵「(張扇叩き)わかりました先生!」

あかり「あと、それ返しな」

未絵「ええー」

嫌がる未絵の手から張扇を取り上げ、

あかり「いつもならすぐ、皆さんに練習してきたものをお披露目していただくところ。ですが、今日は特別、ちょいとこのあたくしめにお時間頂けますでしょうか」

生徒たち、「よっ」「いいね」などと歓迎の声を上げる。

未絵、目を輝かせて拍手する。

あかり「それでは失礼して……」

赤布の張られた舞台に上がりつつ、

あかり「えー、現在では芸人の約半数が女性となった講談でありますが――」

釈台の前の位置に着いて、

あかり「そもそもそのはじめは、戦国大名の話し相手が語った物語でございます。それが滑稽話か、軍記物かの違いが、今の落語と講談の特徴づけでもあるわけです。現代風に申しますと、落語の発祥がフィクションなら、講談の発祥はドキュメンタリー、といったところでしょうか」

張扇を叩く。

あかり「そこで今回は、この不肖、香田あかりの身に実際に起こった事件を、修羅場を交えてお伝えさせていただきたく存じます」

一同、拍手。

あかり「真打になったばかりの遅咲き講談師、香田あかりの名演技がめずらしく、いえいえ毎度のことのように舞台上で華麗に炸裂しました頃は平成二十年、じめじめと蒸し暑い梅雨の午後、ところは皆様ご存じお江戸日本橋亭、香田あかりの楽屋の戸を(張扇叩く)何者かが叩く音。『おや、誰かしら?』と立ち上がってみると――」

 

○回想・お江戸日本橋亭・楽屋

楽屋の扉を開けて、入って来る少女。

あかりの声「(叩)そこに入ってきたるは、年の端二十も行かぬやつれた少女」

あかり「ちょっと何だい、勝手に」

少女「すいません……」

あかり、その少女の姿を見てはっ、と驚く。

あかりの声「その子は前髪をだらーんと垂らし、一見まるで四谷怪談、お岩さん。そう呼ぶのは憚られます、仮にその名を『うたこ』といたしましょう」

うたこ「あのぅ、私、しゃべれる歌手になりたくて……」

あかり「歌手――?」

うたこ「はい、あの私、幼い頃に両親に捨てられて、それで今は親戚のもとで暮らしているんですけど……」

あかりの声「なんせその子は歌い手として成功することを夢見ていたのでございます。そのために、どういう訳か、しゃべりを身につけたい、と申しまして――」

あかり「はぁ……そうかい。それで?」

うたこ「弟子に、してください」

あかり「(あんぐり)」

あかりの声「『この子はあたしが教育し直さなくちゃあいけない』――」

あかりは深く息をつき――

あかりの声「子ができずに別れた夫との心残りか、はたまたただの世話焼き根性か」

うたこに近づいて――

うたこ「?」

あかりの声「あかりはうたこを弟子に引き受けることといたしました(叩)」

うたこの手を強く握りしめる。

 

○回想・あかりの家

廊下を慣れぬ手つきで、雑巾がけしているうたこ。

あかりの声「梅雨も晴れて七月、イマドキ流行らぬ内弟子となったうたこと二人、ひとつ屋根の下、つつましやかな生活が始まりました。しかし――」

うたこ、足をぶつけ、バケツを倒してしまう。水が床に広がってゆく。

あかり「(何事かと飛び出して)こらあんた! 何度目だよ、同じ失敗をくり返すのを馬鹿ってんだよ!」

うたこ「すいません、でも私、こういうの苦手で……」

あかり「口より手を動かしな、誠意を見せるのが筋ってものだよ」

うたこ、下からあかりを睨み上げる。

あかり「(恐怖の裏返しで)何だいその目は!」

と、うたこの頭をはたいてしまう。

床に倒れるうたこ。

あかり「……(後悔)」

あかりの声「お互い、親知らず子知らず、距離間つかめず、うたことあかりの関係はみるみるうちに悪化していったのでございます(叩)」

無言で、床にこぼれた水を拭くうたこ。

 

○お江戸上野広小路亭・4F・教室

真剣に聞き入っている未絵。

小さな舞台上で語るあかり。

あかり「まず見習が覚えることは、高座の仕度や寄席の掃除、そして着物のたたみ方などの細かい作法。なかでも大変なのは、楽屋のお茶出しです」

 

○回想・お江戸上野広小路亭・2F・楽屋

紋付姿の講談師が三人、鏡の前に並んでいる。

あかりの声「これがどうして芸の世界は縦社会、格の高い人からお茶を出すのが当たり前」

うたこがお茶を恐る恐る運んでくる。

うたこ「あ、あの、お茶……」

運ばれた芸人が厳しく向こう(格上芸人の方)に目配せをする。

あかりの声「ですが不器用で覚えの悪い新米、うたこでございます」

うたこ、格上芸人にお茶を出す。

格上芸人「(飲んで)熱っ、おれはぬるめがいい。前にも言ったね」

うたこ「すいません……」

あかりがそそくさ近寄って、

あかり「本当、申し訳ありません。出来の悪い弟子で」

格上芸人「しつけ、びしっと頼むよびしっと」

あかり「ええ、それはもう重々……」

と、うたこの頭を下げさせる。

うたこ「……」

幽霊のようにお茶を配っていき――

あかりの声「もはや何をやらしても上手くいきません。前座として舞台に上がるまでもなく、再三の叱咤激励、意外な刻苦勉励。そして――」

あかりの前に来たうたこ、お茶を着物にぶっかける。

あかり「っ!?」

うたこ、走って逃げてゆく。

芸人たち、どよどよとして、

格上芸人「何してる、はよ追っかけんか!」

あかり「は……はい!」

走って追っかけてゆく。

 

○回想・お江戸上野広小路亭・3F・演芸場

座敷に座る観客たちを蹴散らすように、高座に駆けあがってくるうたこ。

うたこ「あの、私、歌手を目指してまして、どうか歌を、私の歌をきいてください」

あかりの声「不意に修羅場は訪れます」

ざわめく観客。気にせず、歌い始めるうたこ(演歌のようなバラード)。

あかり「(駆けつけて)何やってんだ、馬鹿!」

高座前から腕を伸ばし、うたこを引き摺り下ろそうとするが、

うたこ「放せ! 私はあんたの奴隷じゃない! 私は歌手になって金を稼ぐんだ!」

あかり「だったらあんたの来る場所はここじゃない! 下りなさい!」

あかりの声「放せ、下りろ、放せ、下りろ、と舞台の上と下で弟子と師匠の醜い綱引き、お客も一緒になってやれいいぞと囃したてる始末(叩)ええい、とあかりがその全身をかけ、ようやくうたこを畳に引き摺り下ろすと、どてーん!」

うたこ、畳の上にうつ伏せに倒れる。

あかりも尻もちをついている。

あかり「(荒い息)……あんた、一体どうしてこんな……」

うたこ「(嗚咽しながら)私には、もうどっこも行くとこなんて、なかった……」

あかり「うたこ……」

うたこ「でも、ここにも、私の、居場所なんて、ない……私はただ、歌を、みんなに、きいてほしいだけ、なのに……うぅぅ」

あかり「ごめん、ごめんよあたしは、そんなつもりであんたを……(手を伸ばす)」

うたこ「(その手を払いのけ)さわんな! どうせあんたも私のこと、ばかにしてたくせに! 親ヅラしてんじゃねぇよ!」

そして、駆け出してゆく。

あかり「……(絶句)」

あかりの声「噺家でありながら、言葉が全く出てこない――」

 

○お江戸上野広小路亭・4F・教室

小さな舞台上で語るあかり。

あかり「香田あかり、それまで艱難辛苦多々あれど、その時ほどの衝撃は、後にも先にもございません。親の心子知らず。『恐ろし弟子うたこ』の一席、これにて読み終わりといたします」

礼をする。

生徒一同、拍手。

未絵「……(唖然としている)」

【シナリオコンクール入賞作】華よりパン! 承Ⅱ

○同・1F・入口

日が暮れかかっている。

寄席の勧誘をしているスタッフたち。

そこに、下りて出て来る生徒たち。

 

○同・4F・教室

生徒たちが帰っていく中で、未絵は席に着いたまま動かない。

出口に向かおうとして、ふり返り、

あかり「(ため息)さっさと帰んな」

未絵「……違いますから」

あかり「(察して)……」

未絵「私、うたこさんとは違いますから」

あかり「知ってるよ。けどね――」

出口から一人の生徒が顔を出し、

生徒「よかったらお二人とも、一緒にどうですか、食事会」

あかり「ああ、今行きます。(未絵に)あんたは?」

未絵「(首を左右にふる)」

あかり「好きにしな、あたしゃもう知らないよ」

と、出て行き、代わりに係員が入ってくる。

未絵「……」

意地になって動かない。

係員が未絵の肩を叩く。

未絵、ふり向く。係員、出口を示す。

未絵「わかってますよ」

と口を尖らせ、立ち上がる。

 

○上野広小路駅・前

交差点を行き交う車。

未絵が口を尖らせたまま、横断歩道を渡って来る。地下鉄への階段を下りようとしたところでふと立ち止まり、

未絵「これじゃあ今夜は眠れないよ……」

と、再び広小路亭に引き返そうとする。が、赤信号――

未絵「もぅ!」

地団駄を踏む。

 

○お江戸上野広小路亭・1F・入口

ビラ配りのスタッフに何かを尋ねている未絵。方向を指し示すスタッフ。

礼をし、そちらへ向かう未絵。

 

○和風レストラン・内(夕)

あかりと七人の生徒たちがテーブルを囲み、会食している。みな一様に高齢。

生徒「今日はまた一段と面白い授業でしたね」

生徒「ええ、ほんと。先生?」

あかり「はい、何でしょう」

生徒「もう二度と、お弟子さんはとられないんですか?」

あかり「ええ、まあ」

生徒「そうなんですか……あの方、まだ若くて器量よしでいらしたのに」

生徒「ありゃおじさんウケする顔だね」

生徒「講談界も華やぐかもしれませんよ」

生徒「もったいない」

などと、口々に。

あかり「……」

里芋をぱくと口に入れる。

 

○飲食店ビル・エレベーター前(夜)

未絵が乗降ボタンに背を向けて佇んでいる。ぶると身体を震わせ、

未絵「もう夏も終わりか……」

と、乗り込もうとするカップルが来て、邪魔だと睨まれ、

未絵「すいません」

と位置をずれると、そこにエレベーターが到着。中から団体が流れ出てくる。

未絵「わわっ、ごめんなさい」

とカップルにぶつかり、舌打ちされる。

未絵「(むっとして)だってしょうがな――」

生徒「あらあなた、さっきの」

未絵「え?」

カップルが乗り込んだエレベーターが閉まりかけるのを手で制して、身体をねじ込む。

未絵、唖然とするカップルに礼、そして生徒たちにも礼をする。

エレベーターが閉まり、上っていく。

生徒「いいやね、若いって」

生徒「ゆっても三十三だよ」

生徒「あたしらに比べたら、まだひよこよ」

生徒たち、笑い合う。

○和風レストラン・内(夜)

エレベーター前に立っているあかりと数人の生徒たち。喋り合う生徒をよそに、あかりは何やら考え込んでいる様。

そこへ――エレベーターが到着し開く。

あかり「!」

未絵がカップルを割って飛び出してくる。

あかり「こらあんた! 人様に迷惑をかけるんじゃないよ」

未絵「(あかりに)ごめんなさい、(カップルに)ごめんなさい、でも! まだ噺、終わってません!」

先行くカップルがぎょっとふり返る。

未絵「あ、違くて……あの、あかり先生!」

あかり「何だい」

未絵「う、うたこさんは、あの後、どうなったんですか!?」

あかりに一斉に視線が注がれる。

あかり「……とりあえず、下りましょうか」

と、視線をかわして下りボタンを押す。

再びエレベーターの扉が開く。

 

○上野広小路駅・前(夜)

あかり、未絵、生徒たちが地下鉄口までやって来て、

生徒「それじゃあ、あたしらはこれで」

生徒「嬢ちゃん、がんばれよ」

生徒「先生も」

生徒たち、先に去ってゆく。

あかり、人通りの少ない方へ足を進めて、未絵はそれを追って。と、不意に立ち止まるあかり。その背を見つめて、

未絵「……先生?」

あかり「死んだよ」

未絵「え?」

あかり「あの後、歌手に女優にコメディアンにマジシャン、何でもかんでも挑戦して、ぜんぶ失敗して、うたこは自殺したよ」

未絵「ウソ……」

あかり「講釈師、見てきたようなウソをつき」

未絵「な、なぁんだ、悪い冗談――」

あかり「だけど骨組みは事実さね」

未絵「……え?」

あかり「ったくもぅ!」

ふり返る。

あかり「どこまでしつこいんだあんたって子は! いい加減にしないと警察呼ぶよ警察」

未絵「私、気が変わりました」

あかり「は?」

未絵「一人前の『講談師に』なりたいです、私」

あかり「なっ……大体、講談である必要ないだろう、こんなこと言いたかないけど、流行らないよイマドキ講談なんて」

未絵「地味でもいいんです、講談には地味でも、誰かにちゃんと伝える技があります」

あかり「口で言うのはたやすい、でもね」

未絵「この言葉を信じてもらうために、修行したいんです!」

あかり「……!」

未絵「私の願いは声を届けることなんです。どこかの誰かの悔しい気持ちも、嬉しい気持ちも、私はめいっぱい伝えてあげたいんです!」

あかり「あんたの声、届かなかったのかい?」

未絵「悔しいけど、これまでは、そうです。けど、これからは――」

あかり「(制して)講談の歴史は長い。それだけに奥が深く、誤魔化しのきかない世界だ」

未絵「はい」

あかり「ウケるもウケないも全て自己責任。身を呈しての真剣勝負。厳しいよ?」

未絵「覚悟の上です」

あかり「……(ため息をつき)またね」

未絵「え?」

あかり「香田またね、明日から家に来なさい」

未絵「い、いいんですかっ!?」

あかり「内弟子はもうこりごりだ、通いで稽古をつけてやるよ」

未絵「や、やったー!」

あかり「手放しで喜ぶにはまだ早い! 弟子を認める代わりに、一つ大事な条件がある」

未絵「条件……?」

車のクラクションが鳴る。

 

○居酒屋「呑んべぇ」・前(夜)

店看板の灯りを背にした名護。半袖Tシャツ姿で、身体を抱えこんでいる。

名護「あーくそ、そろそろ衣替えしなきゃな」

そこに未絵、駆けつける。

未絵「ごめん、ごめん、急に呼び出して」

名護「いや、大丈夫」

未絵「名護くん、相変わらず」

名護「うん?」

未絵「優しい」

名護「……まぁな」

未絵「入ろう」

名護「ん」

未絵と名護、暖簾をくぐっていく。

 

○同・内(夜)

未絵と名護が向き合い座っている。

チューハイを飲み、おつまみをつまみながら。

名護「(笑う)何だよそれ、またどえらい飛び込みだな」

未絵「そうそう、こう首根っこ押さえられちゃってさ、それで師匠助けてーって、もう大勢の人たちの前でさんざん」

名護「(手を叩いて大笑い)お前らしいよ」

未絵「私らしいって何よー、そんなの私初めてだし」

名護「ははは、そうだな、うん、そうかそうか……」

未絵「うん、そうだよ、初めて……」

名護「それで? 何、話したいことって」

未絵「ああ、ええと、それなんだけど……あ、先何か食べ物追加する? なんこつとか」

名護「いやいいよ、金ねぇし」

未絵「だね……そうだったそうだった、お金ないんだった」

名護「(笑み)けどま、時間ならたっぷりある」

未絵「名護くん……(泣きそうに)私の時間、なくなるかも……」

名護「(察して)そうか、じゃあいいよ、俺とのデート、なしでいい」

未絵「じゃなくて」

名護「仕方ねぇな、たまにはお前ん家の掃除もしに行ってやるよ、だから――」

未絵「……」

名護「劇団、辞めるとか、言うなよ……」

未絵「……」

名護「あれはさ、俺やお前だけじゃなくて、山野やまどか、それから、これまで手伝ってくれたスタッフとか応援してくれたお客さんとか……みんなの、夢なんだよ。それを、それをさ、大本のお前がさ、そんな」

未絵、うつむいたまま、名護を制するように手を突き出す。

未絵「名護くん……わかったから……」

口をつぐむ名護。

未絵「(顔を上げ笑んで)飲もう、もう一杯くらい、私がおごる」

名護「ばか、いいよ、俺、金曜もバイトのシフト入れてもらうから」

未絵「えー、華の金曜日なのに?」

名護「デートより修行、だろ?」

未絵、おどけて敬礼する。

名護「(笑って)何だよそれ」

未絵「出征の挨拶」

名護「ばかやろ」

と、ジョッキに残ったチューハイを飲み干す。

名護「すいませーん、おかわり!」

 

○閑静な住宅街(朝)

歩いている未絵。その手に、雑な地図の描かれたメモを持って。

未絵「(地図を見て首を傾げ)この道で合ってるはずなんだけど……」

地図、道筋に●がしてあるだけで。

未絵「(見回して)どれ?」

アパートや古民家が建ち並んでいる。

未絵、携帯電話をかける。

未絵「あ、もしもし、師匠? あの、指定された通りにやって来たんですけど、たくさん家がありまして――いや、わからないです、自分で探せってそんな――あ」

通話を切られたようだ。

未絵「む~」

 

○未絵、探索のモンタージュ(朝)

民家の表札を見たり、アパートの郵便受けを一つずつ確かめたり、インターホンを押して間違いを詫びたりする。

 

○あかりの家・居間(朝)

二階建て、築25年の小さな一軒家である。一人にしては広い空間に、積年の生活感が漂っている。

朝日差し込むなか、卓袱台について茶を呑むあかり。

と、インターホンの鳴る音。

時(七時五分)を刻む古時計を見て、立ち上がり、応対する。

 

○同・玄関(朝)

「岩原」の表札の横に立つ未絵、息が上がっている。

未絵「あの、すみません、この辺りに香田あかりという講談師が住んでいるはずなんですけど」

あかりの声「あたしだよ」

未絵「ええ? でもこれ岩原って」

あかりの声「昔の名さね」

未絵「ええ? 昔って、つまり――」

あかりの声「うるさい、もう五分も遅刻してんだ、さっさと入りな」

未絵「遅刻ってそれは――」

切られたようだ。

未絵「あんまりだ!」

 

○同・居間(朝)

再びあかり、茶を啜っている。

そこへ――

未絵「師匠!」

と、威勢良く入って来る。

未絵「これが修行ですか!? こんなのただの嫌がらせです!」

あかり「あんた、本当にそう思うかい?」

未絵「そう……じゃないんですか? まさか、自力で苦労して探させることに深い意味があったとか?」

あかり「こりゃ思ったより扱いやすそうだ」

未絵「何ですかそれどーゆう意味――」

あかり「はいはい、あんた今日バイト、何時からだって?」

未絵「十時からです」

あかり「月謝がない代わりに月給もないのが、プロの芸界の師弟関係。遅刻でもさせて食いぶち失くされちゃ、このあたしが困る、さっさと始めるよ」

未絵「(床に膝と手をついて)はい、師匠、お願いいたします!」

あかり「はいこれ」

と、未絵の前にバケツと雑巾を置く。

未絵「……師匠、これ、ベタすぎません?」

あかり「ま、基本だからね」

未絵、泣き顔でバケツを掴む。

あかり「いいかい、またね――」

 

○未絵、雑用のモンタージュ

未絵、床や窓の拭き掃除――

あかりの声「芸ってのはね、長続きしてこそ価値がある」

未絵、着物をたたみ収納――

あかりの声「講談師は孤独な芸だ、盛りも廃りも己次第」

未絵、マスクに頭巾で掃き掃除――

あかりの声「基礎を疎かにしちゃ、短命も世の定め。またね――」

 

○あかりの家・居間

卓袱台について読書しながら、

あかり「わかったかい」

未絵、マスクを取り、大きくため息。

あかり「(舌打ち)ったく、気が利かないよ」

未絵「何ですか、言ってくれないとわかりません」

あかり「察しな! 気遣いの一つもできずに芸人が務まるとでも思ってんのかい」

未絵「師匠の言う『芸人』はもう古いと思います。言いたいことははっきり口に出して言うのがイマドキです」

あかり「そうやっていちいち自己主張したいんだったら、伝統芸能なんかやめて外資系企業にでも就職しちまいな」

未絵「できませんよ今更!」

あかり「たとえの話だよおばか!」

と、湯呑みを卓袱台に叩きつける。

未絵「(気づき)あ~師匠、茶瓶はどちらに?」

あかり「台所だよ。新しく湯を沸かして淹れとくれ。どうもあたしゃ古臭い人間なもんでね」

未絵「(嫌味だと言いたいのを堪え)はい、ただいま」

あかり「水は勝手口出たとこだよ」

未絵「え?」

 

○同・庭

未絵が勝手口を開けて出てくる。

未絵「何このこだわり……」

桶に汲み置きされた水。

未絵「よっ」

と、桶を持ち上げる。

 

○同・台所

鍋を中火にかけ、水を沸騰させている。

その前で突っ立っている未絵。湯が沸き始めたのを見て、火を止める。

あかりの声「まだだよ!」

未絵「(驚いて)うわっ」

あかりが現れ出ていて。

あかり「まだ松濤(しょうとう)じゃないか」

未絵「は…? 電気は消してませんけど」

あかり「(呆れ)そりゃ落語家の仕事だろう。ほら、もっかい火をつけな」

未絵、火をつける。

あかり「湯の沸き具合にも美しい名がある」

未絵「へぇ」

湯の沸きはじめ、「サー」という音。

あかり「これが松に吹く風の音を波音にたとえた、松濤の状態」

未絵「なるほど、(目を閉じ)熱海の海岸のイメージですね」

あかり「俗だねぇ」

未絵「垢まみれです、はい」

あかり「それから――」

細かい泡が連なって沸いてくる。

あかり「蟹眼(かいがん)」

未絵「目が開いた?」

あかり「やめな、蟹の眼くらいの大きさの泡って意味だよ」

未絵「(ぼそと)なんかキモイ……」

あかり「何か言ったかい」

未絵「いえ、何でも。あの、もういいんじゃ?」

あかり「緑茶に合う美味しいお湯を沸かそうと思ったら、まだまだ」

未絵「師匠、ちょっとこだわりすぎじゃ?」

あかり「口出ししない。それはそうとあんた、まだ会長に挨拶行ってなかったね」

未絵「会長?」

あかり「講談協会会長だよ、承認受けないと正式に前座にも上がれやしないからね」

未絵「じゃ私まだ、非公式? そんなぁ、だったら早く――」

あかり「来たよ、魚眼!」

湯、ボコボコと大きく泡立っている。

未絵「ぎょぎょっ!」

慌てて未絵、火を止める。

あかり「何だって?」

未絵「いえ、何でも(照れ笑い)」

あかり「まァいい、とりあえず明日は挨拶回りだ、覚悟しとくんだね」

未絵「(喜んであかりの手を取り)師匠!」

あかり「それよりあんた、大丈夫なのかい?」

未絵「(劇団のことだと思い)あ、えと、それはまだ……」

あかり「(未絵の腕時計を見て)もう九時半過ぎてるけどねぇ」

未絵「えぇ! もぅ、師匠!」

と、怒って手を放す。

 

○走る未絵

人波をかいくぐり、時折つまずいたりしながら――

【シナリオコンクール入賞作】華よりパン! 転

 

○とんかつ屋「だるま」・店内

キャベツが手早く千切りにされていく。

厨房で店主が調理をしている。

そこへ――

未絵「店長!」

と、飛び込んでくる。

未絵「すみません! クビだけは……」

店主「一度の失敗でクビにしてちゃキリねぇよ。(かつを油に投入し)これが揚がっちまう前に早く着替えな」

未絵「はい!」

と奥へ行き、ロッカーを開ける。

店主「志藤ちゃん」

未絵「(前掛けを結びながら)はい」

店主「昼飯抜きな」

未絵「それだけは」

店主「なら半時間分の給料減らすか?」

未絵「そんなぁ、いつもの三倍頑張りますから……」

店主「そうは問屋が卸さねぇ」

未絵「それなら私のお肉で」

店主「冗談じゃねぇや」

未絵「冗談ですよっ」

と頭巾を結び留める。

かつが香ばしく揚がる。

 

○あかりの家・和室

足袋、長襦袢などを身に着けた未絵が、地味な小紋の着物に袖を通す。

あかりがその着付けを見ている。

もたつく未絵に、

あかり「あんた、もしかして初めてかい?」

未絵「え? な、何言ってんですか、これでもちゃんと成人式も終えて」

あかり「おばか、自力で着付けしたことないだろ、って言ってんだよ」

未絵「そりゃぁイマドキみんな――」

あかり「『みんな』は関係ない!」

未絵「はい」

あかり「やったことないことはできないで当たり前、だったら最初から素直に教えを請えばいい」

未絵「一人でできないので……手伝って頂けますか?」

あかり「よし。それじゃ、まず」

洗濯ばさみを袖から取り出し、未絵の後ろ襟をつまむ。

未絵「ええ? 何ですかそれ」

あかり「こうやって動かないようにしておくんだよ、慣れるまではね」

未絵「はぁ、なるほど」

あかり「それから裾の丈を――」

と、着物のずれやたるみを整えながら、

あかり「前座は地味な小紋だけ、だけど二つ目に上がりゃ綺麗な振袖も着られるようになる、その前にちゃんと一人で着られるようにしとかないと、ね」

未絵「憧れます、きらきらの振袖」

あかり「憧れで終わらせるんじゃぁないよ。はい、できた」

未絵「おぉ」

あかり「あとは帯だね」

と帯を取り上げる。

あかり「一度あたしが締めるから、しっかりその目に焼き付けるんだよ」

未絵「二三度見ないとちょっと無理かも……」

あかり「(未絵に帯をまわしながら)そんな時間はない。今日は絶対に遅刻は許されないからね」

未絵「それは昨日だって」

あかり「おだまり!」

と帯できつく締め上げる。

未絵「ぐぇ」

 

○お江戸上野広小路亭・2F・楽屋

小紋姿の未絵が緊張して立っている。

三人の講談師が鏡の前に並んでいる。

あかりが未絵の背をぽんと押す。

一番奥の二条院陽雀(講談協会会長)にあかりと未絵、近寄る。

あかり「陽雀先生」

陽雀「おぅ、どうしたぃ?」

あかり「この度わたくし香田あかり、新しく弟子を迎えたく存じまして――」

陽雀「弟子? あかり、おめぇ……」

と、隣にいた格上芸人が口を挟む。

格上芸人「陽雀先生、あかりにゃ弟子のしつけは無理ですぜ」

未絵「(思わず)そっ、そんなこと…!」

それをあかり、制す。

格上芸人「また気性の荒そうな女を……まだ懲りてないのかねぇ」

一番手前にいた青山も便乗して、

青山「あっしも反対に一票」

あかり、青山に目を向ける。

青山「いやね、あっしはあねさんのためを想って言ってんでさ。五年前、相当応えてたのは、あねさん自身じゃなかったですかい」

あかり「(うつむき)……」

未絵、歯を食いしばっている。

陽雀「さてと、反対二票。あかり、どう返す?」

あかり「……『イヤ、恥ずかしながら娘がないで弟子しかおらんのだ』。どうか人情を」

格上芸人「(返す言葉なく)ぐっ……」

未絵「?」

陽雀「かっかっか、徂徠豆腐と来たか。するてぇと何かい、その子が未来の荻生徂徠って訳かい」

未絵「え、私? おぎう?」

あかり「(耳打ち)立派になるんだろ?」

未絵「あ、はい、なります! 私、立派になってみせます!」

陽雀「おう、威勢がよくてけっこうけっこう。どうだぃ、青山?」

青山「いやぁ、陽雀先生に口応えできる身分じゃあございやせんで、あっしは」

陽雀「あかりと親しいお前さん自身の意見を訊きてぇんだよ、おれぁ」

青山「んー、それならあっしは……あねさんに『人を育てる』才があるとは思えませんね、正直」

あかり「あんたね(と声出さず口だけで)」

青山「(ベッと舌出し)」

陽雀「なるほどな、そう言われると」

青山「でも、賛成でさ」

あかり「え?」

青山「あねさんのためより、講談界全体のためを想って、賛成でございやす」

陽雀「はっ、またかっこつけやがって」

あかり「(小声)ヤな奴だよ、ほんとに」

青山「(仕返してやったり、と首すくめ)」

陽雀「おぅ、青山までこう言ってんだ。お前さんも異論はねぇな?」

格上芸人「情けは人のためならず。仕方ねぇ、賛成いたします、はい」

陽雀「よっしゃ。となると、ちと小せぇが、満場一致だな」

未絵「あの、えっと、じゃあ…?」

陽雀「いいよ、認めよう。今から君は講談界の一員だ」

未絵「や、やったー!」

あかり「(苦笑)はしたなくて、どうも……」

陽雀「構わんよ。それで、芸名はもう決まってんのかい」

あかり「あ、はい――(言い出しにくく)」

未絵「(代わって)またねです」

楽屋中が唖然として。

未絵「香田またね。ふつつかでございますが、末永くどうぞよろしくお願いいたします」

頭を下げる。

 

○帰り道(夜)

未絵(以下、またね表記)、電話をしながら歩いている。

またね「うん、まぁね……大丈夫、月曜日はそっち行くから、うん、え、終わったら?」

立ち止まり、夜空を見上げる。

またね「(笑んで)デートしよっか」

空には満月が輝いている。

 

○名護のアパート・内(夜)

物の少ないすっきりした四畳半の部屋に、きちんと折りたたまれた布団とローテーブルが置いてある。そこで名護、パンの耳をカップ麺の汁につけて食べながら、電話をしている。

名護「ん……予約しとくよ、洒落たレストラン、はは、何だよ変な声出して、いいじゃんたまには、さ、贅沢したいんだよ俺も」

横向き、壁の方を見る。

名護「うん、そんじゃ……何だよ、土日も講談とバイトで忙しいんだろ、切るぞ。ああ、月曜に、約束だ。じゃあな」

視線の先の壁にかかったカレンダー、九月三十日月曜日に赤く○がつけられ、「十年記念日」とメモしてある。

 

○あかりの家・和室

座卓を挟んであかりとまたねが対座している。

あかり「講談を志す者がいの一番に覚えるのが、この『三方ヶ原合戦』だ」

座卓の上には古びた台本や合戦の資料などが並べられてある。

またね「みかたがはらのかっせん……?」

あかり「誰と誰との戦いか、ぐらいは知っているだろう?」

またね「……師匠にウソをつくのと叱られるの、どちらか選べと申せば、叱られる方を選びます」

あかり「は?」

またね「知りません」

あかり「(叱れず)なら武田信玄のことは?」

またね「名前だけ」

あかり「まァいいよ。知らないのは仕方ない。ゼロからみっちり学ぶだけさね」

またね「はい、みっちり稽古、お願いします」

あかり「その前にまたね、自分用の張扇出しな。ちゃんと持ってきただろ」

またね「……いえ」

あかり「昨日一度作ってみせてやったね」

またね「はい」

あかり「自分好みに作って持ってこいとも伝えたね」

またね「はい」

あかり「ならなぜ作ってこなかった?」

またね「材料がなかったからです」

あかり「割り箸と紙で申し訳程度に作ってこようとも思わなかったのかい」

またね「それは思いも寄らないアイデアで。よっ、さすが師匠」

あかり「この、おばかっ!」

張扇を座卓で強く叩く。

 

○浜松城公園(日替わり)

「若き日の徳川家康公の銅像」。

それを見上げるまたねとあかり。

またね「へぇ、私のイメージではもっとこう、でっぷりした家康像しかなかったです」

あかり「だろう? やっぱり連れて来て良かったよ、あんたがあそこまで歴史オンチだと知ったときゃあたしゃどうしようかと」

またね「講釈師、見てきたようなウソをつき、ですもんね」

あかり「調子いいんだよ、ったく。あんなに駄々こねてたヤツはどこ行った?」

またね「そりゃ昨日いきなり『浜松行くよ』ですよ、私だって今日――」

あかり「バイトはなし何の予定もないだろ?」

またね「(芝居の稽古とは言えず)か、彼氏とデートとか……」

あかり「家康公とデートなさい。一日でも早く出世したいならね」

またね「はぁい。でも夕飯までには何としてでも帰りますから」

あかり「またあんたって子は修行を何だと」

またね「約束なんです! それだけは!」

と両手を合わせながら。

あかり「わかったわかった。そんじゃ早速、乗り込むよ出世城!」

 

○浜松城天守閣・外観

 

○同・1階・内

「徳川家康三方ヶ原戦没画像」の前で小学生のボランティアガイドがまたねとあかりに説明している。

ガイド「この絵に描かれた家康、一体何歳くらいに見えますか?」

またね「うーん、師匠と同じ五十歳くらい?」

あかり「一言多いよあんたは」

ガイド「残念! 実はこれ、三十一歳の家康を描いたものなんです」

またね「ええっ、私より若いの、これが!?」

ガイド「はい、なぜこれがそんなに老けて見えるかと言いますと、家康が武田信玄に惨敗し、浜松城に逃げ込んだときの姿を自戒として描かせたためであります」

またね「へぇ、家康も若いときは苦労したんだ」

ガイド「以上です。何か質問はございますか?」

あかり「君、あたしの弟子になって講談やらないかい?」

ガイド「?」

またね「ちょっと、師匠!」

あかり「あんたよりよっぽどしっかりしてると思うけどねぇ」

またね「もぉ」

 

○同・3階・展望室

またねとあかりが景色を眺めている。

またね「なんだか……小さいですね、浜松城」

あかり「無礼な、その口、もっと慎ましくならないもんかね」

またね「もっと賢くて上品で世渡り上手だったら私、今頃四畳半には住んでませんよ」

あかり「『人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず』」

またね「何ですかそれ?」

あかり「家康公の遺訓さね。あたしだってあれやこれや望めば至らないこと、取り返しのつかない過ち、他人や世間に対する歯痒さ、山ほどある」

またね「(あかりの横顔を見つめ)……」

あかり「でもね、『及ばざるは過たるよりまされり』」

またね「足りない方が多過ぎるよりいいってことですか?」

あかり「ああ。小ささや未熟さを思い知るから、人は精進し続けることができるのさ」

またね「はぁ……」

あかり「あんた、こういうのに対する反応は薄いんだねぇ」

またね「こう、心の中で噛みしめている感じなんですよっ」

あかり「わかってるよ。で、どうだい、共感できそうかい?」

またね「『三方ヶ原合戦』の話にですか……そりゃもちろん。私、何度も負け戦を経験してきましたから」

あかり「(微笑み)よかったじゃないか、馬鹿で下品で世渡り下手で」

またね「それ、褒め言葉として受け取っておきます」

と、微笑み返す。

 

○荒川べり

名護、まどか、山野、土手に川の字に仰向けになっている。

まどか、名護の方に寝返って、

まどか「ねぇ由基人くん」

名護「ん?」

まどか「もう二時だけど……やんないの? 稽古」

名護「ああ、そうだな」

山野「なんでだよ、まだ座長来てねぇだろー」

名護「ああ、それな……未絵は今日、来ない」

山野「(起き上がり)はぁ? 聞いてねぇぞ俺」

まどか「(起き上がり)まどかも聞いてない」

名護「(起き上がり)なんか急な用事が入ったんだと、それで今日もまた――」

まどか「(立ち去ろうして)帰る」

名護「(まどかの腕を掴む)待てって」

まどか「なんで? まどかだって、資格の勉強したり婚活したりで忙しいんだから……放して!」

名護「わかった、わかったから、ひとまず落ちつこう」

まどか「(むすっと)……」

山野「なーんだ結局未絵のヤツ、両立なんてできそうにねぇじゃん、コウダンと劇団」

まどか「それならいっそ、こんな小さな劇団、解散しちゃった方がいいと思う」

名護「……」

まどか「由基人くんは? どう思う?」

名護「俺は……」

 

○犀ヶ崖資料館・内

古民家のような資料館の中でまたねとあかり、モニターから流れる資料映像(講談師による『三方ヶ原合戦』語り)を見ている。

真剣に見入るまたねの様子にあかりも満足げ。

 

○荒川べり(夕)

夕日が沈みゆく中、名護が独り、川に向かって小石を投げている。

二度投げ終えたところでうつむき、ポケットからリングケースを取り出す。

名護「……」

ケースを開けると、指輪が輝きを放つ。

名護、指輪を手に取り、投げようとする。が、ためらい、投げられず……

名護「情けねぇ……」

 

○むつぎく・外観(夕)

「昭和37年創業浜松餃子」のポスター。奥まった小さな入口の前には、餃子・ラーメンの看板がある。

店主の声「へい、お待ち」

 

○同・店内(夕)

円形に盛られた餃子の中心にもやしが添えられた浜松餃子。

テーブルにまたねとあかりが対座している。

またね「うわー、美味しそう!」

あかり「老舗だからね、ちゃんと味わっていただくんだよ」

またね、餃子を口に入れる。

またね「んー!」

あかり「(娘を見るような眼差しで)よかったねぇ、本当に」

またね「?」

あかり「あんたが来てから、ハリがでたよ」

またね「師匠……(嬉しい)」

あかり「(微笑み)そんだけの明るさや前向きさがあれば、いつか絶対に売れる。失くしちまうんじゃないよ、たとえ何があっても、さ」

またね「はい!」

と、餃子を勢いよく口に入れる。

またね「んまい!」

店主「へい、ホルモン焼」

ホルモン焼がテーブルに運ばれる。

あかり「どうも」

またね「あーそれも美味しそう! 一口(ください)!」

あかり「気が多いんだよ、ったく」

またね「いいじゃないですか、何でも経験、経験」

あかり「太って彼氏にフラれても、あたしゃ知らないからね」

と、ホルモン焼の皿を差し出す。

またね「わー……い(思い出した)師匠、いま何時ですかっ!?」

あかり「あら、あんた腕時計してなかったかい?」

またね「(何もない腕を見て)ああ、忘れてたー!」

と、餃子を慌てて口いっぱいに入れる。

他の客たち、驚いて見ている。

あかり「はは、どうもぉ」

と苦笑し、会釈する。

またね「(食べながら)師匠、早く! 早く!」

 

○走る新幹線こだま(夕)

(できれば)富士山を背景に勢い良く走り抜けてゆく。

 

○帰り道(夜)

またね、憔悴して駅から出てくる。

またね「はぁー、やっっと着いた……」

ふと立ち止まり、

またね「そうだ、名護くん」

と、急いで携帯電話を取り出す。

不在着信やメールが溜まっている。

またね「あぁーん、もぅ……」

電柱(壁)にもたれかかって、

またね「てゆうか、怒ってるだろうなぁ、芝居の稽古どころかデートも行けなかったし……最悪だ、私……しょうがない、メールでも入れとこう」

と、携帯でメールを打つ。

宛先「名護くん」

件名「ごめんね」

本文「待ってて。すぐ行くから」――

「ブー」とブザー音が鳴り響く――