○同・1F・入口
日が暮れかかっている。
寄席の勧誘をしているスタッフたち。
そこに、下りて出て来る生徒たち。
○同・4F・教室
生徒たちが帰っていく中で、未絵は席に着いたまま動かない。
出口に向かおうとして、ふり返り、
あかり「(ため息)さっさと帰んな」
未絵「……違いますから」
あかり「(察して)……」
未絵「私、うたこさんとは違いますから」
あかり「知ってるよ。けどね――」
出口から一人の生徒が顔を出し、
生徒「よかったらお二人とも、一緒にどうですか、食事会」
あかり「ああ、今行きます。(未絵に)あんたは?」
未絵「(首を左右にふる)」
あかり「好きにしな、あたしゃもう知らないよ」
と、出て行き、代わりに係員が入ってくる。
未絵「……」
意地になって動かない。
係員が未絵の肩を叩く。
未絵、ふり向く。係員、出口を示す。
未絵「わかってますよ」
と口を尖らせ、立ち上がる。
○上野広小路駅・前
交差点を行き交う車。
未絵が口を尖らせたまま、横断歩道を渡って来る。地下鉄への階段を下りようとしたところでふと立ち止まり、
未絵「これじゃあ今夜は眠れないよ……」
と、再び広小路亭に引き返そうとする。が、赤信号――
未絵「もぅ!」
地団駄を踏む。
○お江戸上野広小路亭・1F・入口
ビラ配りのスタッフに何かを尋ねている未絵。方向を指し示すスタッフ。
礼をし、そちらへ向かう未絵。
○和風レストラン・内(夕)
あかりと七人の生徒たちがテーブルを囲み、会食している。みな一様に高齢。
生徒「今日はまた一段と面白い授業でしたね」
生徒「ええ、ほんと。先生?」
あかり「はい、何でしょう」
生徒「もう二度と、お弟子さんはとられないんですか?」
あかり「ええ、まあ」
生徒「そうなんですか……あの方、まだ若くて器量よしでいらしたのに」
生徒「ありゃおじさんウケする顔だね」
生徒「講談界も華やぐかもしれませんよ」
生徒「もったいない」
などと、口々に。
あかり「……」
里芋をぱくと口に入れる。
○飲食店ビル・エレベーター前(夜)
未絵が乗降ボタンに背を向けて佇んでいる。ぶると身体を震わせ、
未絵「もう夏も終わりか……」
と、乗り込もうとするカップルが来て、邪魔だと睨まれ、
未絵「すいません」
と位置をずれると、そこにエレベーターが到着。中から団体が流れ出てくる。
未絵「わわっ、ごめんなさい」
とカップルにぶつかり、舌打ちされる。
未絵「(むっとして)だってしょうがな――」
生徒「あらあなた、さっきの」
未絵「え?」
カップルが乗り込んだエレベーターが閉まりかけるのを手で制して、身体をねじ込む。
未絵、唖然とするカップルに礼、そして生徒たちにも礼をする。
エレベーターが閉まり、上っていく。
生徒「いいやね、若いって」
生徒「ゆっても三十三だよ」
生徒「あたしらに比べたら、まだひよこよ」
生徒たち、笑い合う。
○和風レストラン・内(夜)
エレベーター前に立っているあかりと数人の生徒たち。喋り合う生徒をよそに、あかりは何やら考え込んでいる様。
そこへ――エレベーターが到着し開く。
あかり「!」
未絵がカップルを割って飛び出してくる。
あかり「こらあんた! 人様に迷惑をかけるんじゃないよ」
未絵「(あかりに)ごめんなさい、(カップルに)ごめんなさい、でも! まだ噺、終わってません!」
先行くカップルがぎょっとふり返る。
未絵「あ、違くて……あの、あかり先生!」
あかり「何だい」
未絵「う、うたこさんは、あの後、どうなったんですか!?」
あかりに一斉に視線が注がれる。
あかり「……とりあえず、下りましょうか」
と、視線をかわして下りボタンを押す。
再びエレベーターの扉が開く。
○上野広小路駅・前(夜)
あかり、未絵、生徒たちが地下鉄口までやって来て、
生徒「それじゃあ、あたしらはこれで」
生徒「嬢ちゃん、がんばれよ」
生徒「先生も」
生徒たち、先に去ってゆく。
あかり、人通りの少ない方へ足を進めて、未絵はそれを追って。と、不意に立ち止まるあかり。その背を見つめて、
未絵「……先生?」
あかり「死んだよ」
未絵「え?」
あかり「あの後、歌手に女優にコメディアンにマジシャン、何でもかんでも挑戦して、ぜんぶ失敗して、うたこは自殺したよ」
未絵「ウソ……」
あかり「講釈師、見てきたようなウソをつき」
未絵「な、なぁんだ、悪い冗談――」
あかり「だけど骨組みは事実さね」
未絵「……え?」
あかり「ったくもぅ!」
ふり返る。
あかり「どこまでしつこいんだあんたって子は! いい加減にしないと警察呼ぶよ警察」
未絵「私、気が変わりました」
あかり「は?」
未絵「一人前の『講談師に』なりたいです、私」
あかり「なっ……大体、講談である必要ないだろう、こんなこと言いたかないけど、流行らないよイマドキ講談なんて」
未絵「地味でもいいんです、講談には地味でも、誰かにちゃんと伝える技があります」
あかり「口で言うのはたやすい、でもね」
未絵「この言葉を信じてもらうために、修行したいんです!」
あかり「……!」
未絵「私の願いは声を届けることなんです。どこかの誰かの悔しい気持ちも、嬉しい気持ちも、私はめいっぱい伝えてあげたいんです!」
あかり「あんたの声、届かなかったのかい?」
未絵「悔しいけど、これまでは、そうです。けど、これからは――」
あかり「(制して)講談の歴史は長い。それだけに奥が深く、誤魔化しのきかない世界だ」
未絵「はい」
あかり「ウケるもウケないも全て自己責任。身を呈しての真剣勝負。厳しいよ?」
未絵「覚悟の上です」
あかり「……(ため息をつき)またね」
未絵「え?」
あかり「香田またね、明日から家に来なさい」
未絵「い、いいんですかっ!?」
あかり「内弟子はもうこりごりだ、通いで稽古をつけてやるよ」
未絵「や、やったー!」
あかり「手放しで喜ぶにはまだ早い! 弟子を認める代わりに、一つ大事な条件がある」
未絵「条件……?」
車のクラクションが鳴る。
○居酒屋「呑んべぇ」・前(夜)
店看板の灯りを背にした名護。半袖Tシャツ姿で、身体を抱えこんでいる。
名護「あーくそ、そろそろ衣替えしなきゃな」
そこに未絵、駆けつける。
未絵「ごめん、ごめん、急に呼び出して」
名護「いや、大丈夫」
未絵「名護くん、相変わらず」
名護「うん?」
未絵「優しい」
名護「……まぁな」
未絵「入ろう」
名護「ん」
未絵と名護、暖簾をくぐっていく。
○同・内(夜)
未絵と名護が向き合い座っている。
チューハイを飲み、おつまみをつまみながら。
名護「(笑う)何だよそれ、またどえらい飛び込みだな」
未絵「そうそう、こう首根っこ押さえられちゃってさ、それで師匠助けてーって、もう大勢の人たちの前でさんざん」
名護「(手を叩いて大笑い)お前らしいよ」
未絵「私らしいって何よー、そんなの私初めてだし」
名護「ははは、そうだな、うん、そうかそうか……」
未絵「うん、そうだよ、初めて……」
名護「それで? 何、話したいことって」
未絵「ああ、ええと、それなんだけど……あ、先何か食べ物追加する? なんこつとか」
名護「いやいいよ、金ねぇし」
未絵「だね……そうだったそうだった、お金ないんだった」
名護「(笑み)けどま、時間ならたっぷりある」
未絵「名護くん……(泣きそうに)私の時間、なくなるかも……」
名護「(察して)そうか、じゃあいいよ、俺とのデート、なしでいい」
未絵「じゃなくて」
名護「仕方ねぇな、たまにはお前ん家の掃除もしに行ってやるよ、だから――」
未絵「……」
名護「劇団、辞めるとか、言うなよ……」
未絵「……」
名護「あれはさ、俺やお前だけじゃなくて、山野やまどか、それから、これまで手伝ってくれたスタッフとか応援してくれたお客さんとか……みんなの、夢なんだよ。それを、それをさ、大本のお前がさ、そんな」
未絵、うつむいたまま、名護を制するように手を突き出す。
未絵「名護くん……わかったから……」
口をつぐむ名護。
未絵「(顔を上げ笑んで)飲もう、もう一杯くらい、私がおごる」
名護「ばか、いいよ、俺、金曜もバイトのシフト入れてもらうから」
未絵「えー、華の金曜日なのに?」
名護「デートより修行、だろ?」
未絵、おどけて敬礼する。
名護「(笑って)何だよそれ」
未絵「出征の挨拶」
名護「ばかやろ」
と、ジョッキに残ったチューハイを飲み干す。
名護「すいませーん、おかわり!」
○閑静な住宅街(朝)
歩いている未絵。その手に、雑な地図の描かれたメモを持って。
未絵「(地図を見て首を傾げ)この道で合ってるはずなんだけど……」
地図、道筋に●がしてあるだけで。
未絵「(見回して)どれ?」
アパートや古民家が建ち並んでいる。
未絵、携帯電話をかける。
未絵「あ、もしもし、師匠? あの、指定された通りにやって来たんですけど、たくさん家がありまして――いや、わからないです、自分で探せってそんな――あ」
通話を切られたようだ。
未絵「む~」
○未絵、探索のモンタージュ(朝)
民家の表札を見たり、アパートの郵便受けを一つずつ確かめたり、インターホンを押して間違いを詫びたりする。
○あかりの家・居間(朝)
二階建て、築25年の小さな一軒家である。一人にしては広い空間に、積年の生活感が漂っている。
朝日差し込むなか、卓袱台について茶を呑むあかり。
と、インターホンの鳴る音。
時(七時五分)を刻む古時計を見て、立ち上がり、応対する。
○同・玄関(朝)
「岩原」の表札の横に立つ未絵、息が上がっている。
未絵「あの、すみません、この辺りに香田あかりという講談師が住んでいるはずなんですけど」
あかりの声「あたしだよ」
未絵「ええ? でもこれ岩原って」
あかりの声「昔の名さね」
未絵「ええ? 昔って、つまり――」
あかりの声「うるさい、もう五分も遅刻してんだ、さっさと入りな」
未絵「遅刻ってそれは――」
切られたようだ。
未絵「あんまりだ!」
○同・居間(朝)
再びあかり、茶を啜っている。
そこへ――
未絵「師匠!」
と、威勢良く入って来る。
未絵「これが修行ですか!? こんなのただの嫌がらせです!」
あかり「あんた、本当にそう思うかい?」
未絵「そう……じゃないんですか? まさか、自力で苦労して探させることに深い意味があったとか?」
あかり「こりゃ思ったより扱いやすそうだ」
未絵「何ですかそれどーゆう意味――」
あかり「はいはい、あんた今日バイト、何時からだって?」
未絵「十時からです」
あかり「月謝がない代わりに月給もないのが、プロの芸界の師弟関係。遅刻でもさせて食いぶち失くされちゃ、このあたしが困る、さっさと始めるよ」
未絵「(床に膝と手をついて)はい、師匠、お願いいたします!」
あかり「はいこれ」
と、未絵の前にバケツと雑巾を置く。
未絵「……師匠、これ、ベタすぎません?」
あかり「ま、基本だからね」
未絵、泣き顔でバケツを掴む。
あかり「いいかい、またね――」
○未絵、雑用のモンタージュ
未絵、床や窓の拭き掃除――
あかりの声「芸ってのはね、長続きしてこそ価値がある」
未絵、着物をたたみ収納――
あかりの声「講談師は孤独な芸だ、盛りも廃りも己次第」
未絵、マスクに頭巾で掃き掃除――
あかりの声「基礎を疎かにしちゃ、短命も世の定め。またね――」
○あかりの家・居間
卓袱台について読書しながら、
あかり「わかったかい」
未絵、マスクを取り、大きくため息。
あかり「(舌打ち)ったく、気が利かないよ」
未絵「何ですか、言ってくれないとわかりません」
あかり「察しな! 気遣いの一つもできずに芸人が務まるとでも思ってんのかい」
未絵「師匠の言う『芸人』はもう古いと思います。言いたいことははっきり口に出して言うのがイマドキです」
あかり「そうやっていちいち自己主張したいんだったら、伝統芸能なんかやめて外資系企業にでも就職しちまいな」
未絵「できませんよ今更!」
あかり「たとえの話だよおばか!」
と、湯呑みを卓袱台に叩きつける。
未絵「(気づき)あ~師匠、茶瓶はどちらに?」
あかり「台所だよ。新しく湯を沸かして淹れとくれ。どうもあたしゃ古臭い人間なもんでね」
未絵「(嫌味だと言いたいのを堪え)はい、ただいま」
あかり「水は勝手口出たとこだよ」
未絵「え?」
○同・庭
未絵が勝手口を開けて出てくる。
未絵「何このこだわり……」
桶に汲み置きされた水。
未絵「よっ」
と、桶を持ち上げる。
○同・台所
鍋を中火にかけ、水を沸騰させている。
その前で突っ立っている未絵。湯が沸き始めたのを見て、火を止める。
あかりの声「まだだよ!」
未絵「(驚いて)うわっ」
あかりが現れ出ていて。
あかり「まだ松濤(しょうとう)じゃないか」
未絵「は…? 電気は消してませんけど」
あかり「(呆れ)そりゃ落語家の仕事だろう。ほら、もっかい火をつけな」
未絵、火をつける。
あかり「湯の沸き具合にも美しい名がある」
未絵「へぇ」
湯の沸きはじめ、「サー」という音。
あかり「これが松に吹く風の音を波音にたとえた、松濤の状態」
未絵「なるほど、(目を閉じ)熱海の海岸のイメージですね」
あかり「俗だねぇ」
未絵「垢まみれです、はい」
あかり「それから――」
細かい泡が連なって沸いてくる。
あかり「蟹眼(かいがん)」
未絵「目が開いた?」
あかり「やめな、蟹の眼くらいの大きさの泡って意味だよ」
未絵「(ぼそと)なんかキモイ……」
あかり「何か言ったかい」
未絵「いえ、何でも。あの、もういいんじゃ?」
あかり「緑茶に合う美味しいお湯を沸かそうと思ったら、まだまだ」
未絵「師匠、ちょっとこだわりすぎじゃ?」
あかり「口出ししない。それはそうとあんた、まだ会長に挨拶行ってなかったね」
未絵「会長?」
あかり「講談協会会長だよ、承認受けないと正式に前座にも上がれやしないからね」
未絵「じゃ私まだ、非公式? そんなぁ、だったら早く――」
あかり「来たよ、魚眼!」
湯、ボコボコと大きく泡立っている。
未絵「ぎょぎょっ!」
慌てて未絵、火を止める。
あかり「何だって?」
未絵「いえ、何でも(照れ笑い)」
あかり「まァいい、とりあえず明日は挨拶回りだ、覚悟しとくんだね」
未絵「(喜んであかりの手を取り)師匠!」
あかり「それよりあんた、大丈夫なのかい?」
未絵「(劇団のことだと思い)あ、えと、それはまだ……」
あかり「(未絵の腕時計を見て)もう九時半過ぎてるけどねぇ」
未絵「えぇ! もぅ、師匠!」
と、怒って手を放す。
○走る未絵
人波をかいくぐり、時折つまずいたりしながら――