【ネット小説】生彩 Ⅲおしゃべりな黄色

おしゃべりな黄色

十七歳の女子高校生の主な会話の種は、いつの時代も変わらず、「恋愛」だった。たとえその対象が芸能人であろうとキャラクターであろうと、やはり「世間一般」の価値観でいうと、「恋愛」に勝る悩み事は女子高校生にはあり得ないことであった。

 

「ってかさ、聞いてよー。この前ユーイチがさ、マジやばかったの」

「なに系?」

「チキン系。何にビビッたと思う?」

「え、なになに?」

「カマキリだよ、カマキリ」

「なにそれ。マジウケる」

そして、彼女たちは大笑いするのである。

女子高校生というのはこの頃、そういった暗号のような意志疎通を難なくこなし、どんな事柄に対しても開放的に笑う感性を備えていた。

生殖に適した「若さ」というものは、人類史を通して一定の魅力を発揮するための武器となる。こと女性に関しては、武器というよりも「受容器」といったほうが言葉として的確かもしれないが――

逢坂りこの所属していた三人「グループ」の暗号は、「世間一般」よりも少し、抽象的なものであった――

「またフミ」

「いかに」

「イナ」

「なぜ?」

「チ」

「いろん」

「フカ」

当時はまだ「群れ」の意識が学級内にも強く残っていて、たとえ「友達」という関係性を疑う間柄であっても、平穏な学級生活を送るためには「集団」に所属している必要があった。

動物には生来、「縄張り」の意識や「パーソナル・スペース」といった距離感の節度があって、狭い教室に同級生が多数詰め込まれると、「いじめ」という虐待が大なり小なり自然発生するのである。

さらに難儀なことに、逢坂りこの高校は、男子禁制の「女子高」だった。

それは得てして偏りを招いた。

成績の格差、性徴の早晩、品位の優劣……

優越感が疎外を生み、劣等感が嫉妬を生んだ。一見すると「清楚な花園」に見えるその女子高等学校も、ひとたび土を掘り起こせば、おびただしい数のグロテスクがうごめいていた。

むろん、多くの女子たちは地下などに興味を向けることもなく、花園の垣根をゆうゆうと飛び越えて具体的な「恋愛」を追求したが、逢坂りこの属する形而上的な三人グループはひと味違った。

形ある肉体を持った男性に恋するというよりはむしろ、無形の理念やイメージに憧れた。たとえば、その対象はメディアを介した言葉のみの存在でもよかったし、身の回りに存在しない観念的な男性像でもよかった。

しかし一点、「洗練」だけは重視された。

そして次第に、彼女たちの実際的に交わす言葉は奇妙なまでに洗練され、まるで手持ちのボタンを押すかのように会話は素早く展開されるようになった。

「ワのみ」

「リョウ」

「よい?」

「まあ」

「ムネン」

「なら、だれ?」

「フカチ」

「即、カイ」

「イナ」

――逢坂りこと染井麻紀と高峰結菜の三人は、「下駄箱」の前にいた。

その日、ヨガ教室の三日後の金曜日、白いスチール製の六列五段の箱の中には、二十七組のローファーと一通の封筒が入っていた。そこで、おおよその他者に理解されないような密談を交わして結局、開封することなく彼女たちは下校を始めたのだった。

「マキ?」

逢坂りこは染井麻紀の明らかな異変に感づいていた。

逢坂りこが手紙をもらうことは日常茶飯事のようにあって、それはいわゆるひそかなファンレターであった。

どんな贔屓をも意図的に寄せつけないような学生生活にあって、「自分だけが彼女がアイドルであることを知っている」

――その特別感を充たすために、下級生から上級生まで、こっそりと手紙を潜ませるのだ。

あまりに似通った外面や行動パターンを選択しながらも、まるでビタミン剤を摂取しなければいてもたってもいられないように、それだけ女子高校生には「皆とは違う私」の確認が必要だった。いまだ逢坂りこがアイドル活動をやめたという情報が広まっていないだけに、その伝言は左隅の上から三段目の下駄箱に入り続けるだろう。そこに本人も疑問はなかった。しかしながら――

「フヨウ」染井麻紀は言った。

「でも」高峰結菜の言わんとすることは、その逆接だけで伝わった。

染井麻紀はこの数日、「謎の封筒」に悩まされていた。これで四通目だった。封筒の中にはいつも、一枚の写真が入っていた。

はじめは、彼女の遠足時の写真。これは掲示され、誰でも自由に買える代物だった。

次は、彼女の通学時の写真。いつも通る道、誰でも撮ろうと思えば簡単に撮れる代物ではあったが。

その次の「書店で雑誌を立読みする姿」を映した写真を見て、染井麻紀はおののいた。それはもはや、明確な意志をもって彼女を「狙って隠し撮った」写真だった。それ以外に考えられなかった。

いったい、なぜ?

四通目の封筒を開けるのが怖かった。

その「なぜ」の理由が一つも見当たらなかったからではない。その理由がいくつも見当たってしまったからである。

十七年の人生のおよそ二年間は、染井麻紀にとって公言を憚るものだった。

彼女はそれだから、高峰結菜に声をかけられるまで一年余り、高校生活を単独で過ごした。できる限り人の興味を引かず、警戒心をむき出しにしてへそピアスを隠していた。その一見上品な女子高に、自分は来るべきではないと思っていた。両親に、「愛光女子学園」なる女子少年院に入るかその「普通」の「私立」の女子高に入るか、どちらか選べと言われ、彼女には選ぶことができなかった。選択できなかったから、そのまま護送車に乗せられて、「私立」に放り込まれたといった風だった。

 

「ねえ、いつもどこ見てんの?」

「……さあ」

 

それが逢坂りこの座席の前でおこなわれた高峰結菜と染井麻紀の最初の会話だった。

はじめから彼女たちの間には何一つ、明確な「答え」がなかった。

あらかたの「?」に対し、「さあ」とか「ああ」とか「そう」とか「まあ」とかで染井麻紀は応え、高峰結菜はそれが意外と心地よかった。

逢坂りこもそんな二人を、淡い水彩画を鑑賞するように眺めた。染井麻紀の色素の薄さと高峰結菜の影の薄さを描いた画家を、逢坂りこはターナーよりも好んだ。その無名で無価値かもしれない心象にそして、

「ねえ、私もまぜて」

溶け込んだ。

自ら入ろうと思った群がりは、それが学内ではじめてだった。

高峰結菜と染井麻紀には、逢坂りこの意図が不明だった。しかしだからこそ、彼女たちは「混色」をすぐさま受容したのである。まさかそれがアラビアガムでなく乾性油を固着材としていることも知らずに――

淡い水彩画はやがて、逢坂りこの顔料によって上塗りを繰り返され、一躍学内でもっとも注目を浴びる精鋭の「グループ」と変貌を遂げた。

逢坂りこと染井麻紀と高峰結菜の三人のたたずまいは、ゴッホが最初に制作した「ひまわり」を連想させた。一連の「ひまわり」の中では地味で技巧も別段優れてはいないが、それでも無名の美術館に収めれば、誰もがその「アウラ」を目当てとして観覧に来るだろう。

絵画は自ら何も語りかけはしないけれど、鑑賞者は絵画から印象を受け、ときに見惚れる。

そんな注目に対し、人一倍警戒心の強い染井麻紀は率先して会話を記号化し、てぐす糸を身の回りに張り巡らせた。それなのに……

 

「謎の封筒」が届けられてしまった。四度も。

 

国語だけでなく英語の成績も優等だった逢坂りこは「ストーク」という単語に、「忍び寄る」とは別の「大股に歩く」「闊歩する」という意味があることを知っていた。染井麻紀を「ストーク」の目的から外し(off, out, away)、犯人に表通りを「闊歩させる」手段も感覚的にではあるが、分かっていた。そういう知識もなくだてに舞台上で踊っていたわけではなかった。

しかし、それには、逢坂りこ自身も傷つかなければならなかった。定着していた油絵具を削いで、染井麻紀どころか罪なき高峰結菜までも、いや、地味な「ひまわり」の愛好家までをも、落胆させてしまいかねなかった。失った人気はもう二度と、取り戻すことができないのかもしれなかった。

逢坂りこは悩んだ。

意識的に正しく呼吸しながら下校中、ずっと考えていた。外気はまだ、白く濁るほどに冷たかった。

「また」

「うん」

「また」

とどのつまりその日は通常通り、三人は別れることとなった。

 

土曜日、その高校は隔週で休みで、その次の日は休みだった。

大衆の関心はしばしば「芸能人の休日の過ごし方」に向けられたが、逢坂りこはすでに芸能人を辞めていた。そして彼女が芸能人だったときの学校の休日は主に仕事の日であったが、今は学校の休日がすなわちオフの日となった。当たり前のことがようやく当たり前になって、だけどその「当たり前の日の過ごし方」に関心を向ける民衆は少なかった。なぜなら「当たり前」とは、見るに堪えぬほどにつまらない事象だったからである。

「当たり前」とはおそらく、水平線のような現象だったからである。

 

「りこ、さっきからぼぅっと、何してるの?」

「え? ああ、うん、べつに」

逢坂りこは十一畳のリビングで、ぼぅっとしていた。何の予定もなかった。

宿題はあったが、二時間もあれば終わらせられるものだった。

ボイストレーニングにダンスレッスン、ライブ活動に販促活動、ファンとの交流会に情報収集……それら一切のアクションがずるりとぬけ落ちた、真の休日。

時計回りに回転する円盤の上からあっけなく落ちた先は、地獄でも極楽でもなくて、単なるじゅうたんの上だった。四十二インチの液晶テレビは消えてある。くまとうさぎのぬいぐるみは黙っている。CDコンポはしばらく起動させていない。レースのカーテンさえも微動だにしていない。

「お母さん、お買物行くけど、りこもどう?」

「うん……」二分休符分、考えた。

「やめとく」

「どうしたの? 体調でも悪い?」

母はいぶかった。どんなケースでも「ブランド商品」に仕立てあげてしまうほどの活発さを、母は娘に対して期待していた。無意識に「行く」という応えを求めていた。逢坂りこと共に買物に行くことは、ある人々にとっては「一時間一万円」以上の価値が生ずるものであった。「これほしい」の一言で、たぶん母も一万円ほどの物なら躊躇なく買い与えたであろう。

けれど、逢坂りこは断った。

「ううん、いたって元気。まあ、ちょっと考えたい事があって」

「悩みがあるなら、いつでもお母さんに言いなさいよ」

「うん、分かってる」と彼女は言ったが、肝心の悩みについては言いたくなかった。

「いってらっしゃい」

そして母はやむなく独りきりで出かけていった。単独行動に慣れない母の心に、不満が滞留するのを娘は感じ取っていたけれど。どうしても「譲れない自分」が芽生えていたのである。もしもそこで、そんな些細な出来事において、「行く」と応えていたら、顔を出したばかりの双葉たちは茶色く変色して枯れてしまっていたかもしれなかった。それらはまだ十分に根を張ってもいなかったし、天候に大きく左右されるほどに貧弱だった。自分のちっぽけな「意志」だけがバリケードだった。

「ふぅ……」

冷蔵庫の低周波がうなっていた。

何も飲みたい気分ではなかった。内に向かう熱量がずいぶん必要だった。

染井麻紀を「獲物」にしてしまったのは、自分自身の顔料のせいかもしれなかった。いや、仮に彼女自身の中に、何者かに付け狙われてしまう「やましさ」があったのだとしても。すでに染井麻紀と関わり合いになっていたのは事実だし、逢坂りこは彼女のことを嫌いではなかったし、何なら助けたい、と思っていた。

それほど「仲良く」付き合っていたわけでもなく、休憩時間と下校時間に少し、他愛のない、内容のない、波風も立たない会話を交わしていたにすぎなかったのだけれど――

頭に血が上る。

逢坂りこは、じゅうたんの上でおもむろに立ち上がり、カーテンをのけ、錠を外し、窓を開けた。

無数の微小な網目の先には、洗濯物が干してある。

母の年の割には派手な下着が、娘の年の割には地味な下着が、かすかにゆれていた。ここはマンションの七階である。倍率の高い双眼鏡でもなければ、他人には見ることのできない下着――

逢坂りこには、そういう代物に異様なまでの執着を抱く人の心理をいまいち把握することができなかった。頭では、多少なりとも理解できる。

性欲への不満、突き詰めれば愛情の餓えがいびつな形の心象を描き、キャンバスにこびりついてしまったという具合だろう。

理論は分かるのだ。

染井麻紀に「謎の写真」を送り続ける人物の筆舌に尽くしがたい想いも。

 

自然に愛されたくて、愛し合いたくて。

 

それが万人に共通する根底の幸福なのだと。

快楽の追求なんかじゃなくて、未練の解消なのだと。積み上げることなんかじゃなくて、溶け合って深く繋がり合うことなのだと。

もう頭では、かなり理解できているはずだったのだけれど。

もしも「それ」が簡単に叶うのなら、その至福がイージーに充たされるのなら、私たちはこう何度も「やり直す」必要などないのだ、と――

逢坂りこは一筋の涙を流した。

 

愛することはどうしてこうも、むずかしいのだろう。

「それ」を想うだけでどうしてこうも、胸が苦しくなるのだろう。

 

「ちゃんと、話し合わなくちゃ……」

素っ気ない記号ではなく、情感のこもった言葉で。互いに血を通わせ合わなければいけないのだ、人間は。

でなければどうして、これほどの道具に恵まれて、これほどの大脳に恵まれて、悩み多き動物として生まれる意味があるのだろう。

逢坂りこは、人間として生まれた自分を尊敬し、また染井麻紀や高峰結菜という人物を今よりいっそう敬愛しようと思った。「親しい友人」として――

 

「ねえ、聴いて」

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