難民の選挙 承

○物部家・居間(夕)

物部佐代里(46)が不審そうに受話器を置く。

食卓で食事中の物部、佐代里を見る。

物部「どうしたんだ? 誰から?」

佐代里「さあ? 公衆電話って表示されてたけど」

物部「公衆電話?」

佐代里「ええ。あの、だけ言って切れちゃった。イタズラかしら」

物部「(ピンと来て)若い男の声か?」

佐代里「ええ、たぶん」

物部、立ち上がり、上着に袖を通す。

佐代里「どうしたの、突然?」

物部「すまん、ちょっと出かけてくる」

佐代里「明日にできない?」

物部「今を逃せば、どうなるか分からない。彼には特定の居場所がないんだ」

佐代里「わかった。急いで行ってあげて」

物部「ああ」

と、出かけて、

佐代里「ちょっと待って」

物部「?」

佐代里「これ――」

キッチン棚から菓子パンを数個取り出して、

佐代里「お腹、空いてるだろうから」

物部「恩に着るよ」

それらを受け取り、駆け出してゆく。

 

○成央駅・前(夜)

物部が息を切らして、駆けてくる。

物部「公衆電話なんて、もうここにしか……どこだ、どこに行った須和くん、須和吟平くん!」

周囲を見渡す。

と、電話ボックスの中でうずくまる影が見える。駆け寄る物部。

扉を開けると、中から血色悪く、気を失った須和が倒れ込んでくる。

物部「! 須和くん!」

揺らすが、反応なし。

物部、慌てて公衆電話に飛びつき、119を押す。

物部「……成央駅前北口広場で一人の青年が意識不明で倒れています。おそらく栄養失調か何かだと……はい、至急お願いします」

ガチャン、と受話器が置かれる。

 

○成央市民病院・病室(朝)

ベッドに点滴をつながれて眠っていた須和が、目を覚ます。

隣で付き添ってくれていた物部と佐代里の存在に気づく。

須和「あ……」

物部「ようやくお目覚めみたいだな」

佐代里「心配したのよ」

須和「え、と……」

物部「腹、減ってるか?」

須和「ああ、はい、すごく」

物部「これ、よかったら」

菓子パンをサイドテーブルに置く。

ぎこちなく上半身を起こそうとする須和。佐代里がスイッチを押してベッドの背上げをしてあげる。

須和「あ、どうも……でも、いいんすか?」

物部「ん? いいだろ、パンの一個や二個」

須和「いやそうじゃなくて、俺、保険とか、入ってないし、金も、全然ないし」

佐代里「でも生活保護は受けてたんでしょう」

須和「いや、それがどうも俺、働けない体じゃないらしくて、それにまだ、バイトクビになってからそんな経ってないし」

物部「そんなって、いつからその生活を?」

須和「うーん、日にちとかよくわかんなくなるんすけど……たぶん、三ヶ月くらい」

佐代里「(ため息)両親とか親戚はいらっしゃらないの?」

須和「二、三年前、父はアル中で死にました。母はずっと前にどっか蒸発しちまって……親戚はなんか、誰も関わりたくないみたいで……はは、これ別に不幸自慢とか、そーゆうんじゃないですから」

佐代里「(言葉もない)」

物部「まぁ、とりあえず食べてくれ。カネのことは心配するな、私は君に、借りがある」

須和「(失笑し)あんな、ボロっちい傘なのに……」

菓子パンの袋を開ける。

須和「あんな、ボロ……」

涙をこらえながら、菓子パンにかじりつく。その背を優しく撫でてやる物部。顔をそらし、泣いている佐代里。

 

○同・前(夕)

物部と須和が出て来る。

物部「本当に平気なのか? たった半日で退院して」

須和「いや、これ以上迷惑かけらんないし、それに一人で病院にいるのがなんか、いたたまれないっていうか」

物部「すまないな、もっと休ませてやれなくて」

須和「いやいや、もう充分です」

物部「私はこれから市役所へ行かなくてはならない。先に帰ってて、と言っても帰る場所がないか」

須和「いや、もうホント……」

物部「そうだ、一緒に来るか?」

須和「へ……?」

物部「市の若手職員との懇談会なんだ。是非君からも話を聞かせてやってほしい」

須和「俺、から?」

物部「ああ、きっと美味い弁当も出るから。だから、頼む!」

須和「俺、エサで釣られませんけど」

物部「あ、これは失礼」

須和「でも、いいすよ。上手く言えないと思うけど、なんかこう、ずっと溜まってたんで、もやもや」

物部「(笑んで)もやもや、か。いいじゃないか、ぶちまけてやれ」

須和「議員、クビになっても知らないですよ」

物部「覚悟の上だ」

須和の顔、ほころぶ。

 

○成央市役所本庁舎・会議室(夜)

長方形に並んだ机と椅子。

すでに席は市議会議員たちと若手職員たちで埋められている。そこに、

物部が入って来る。縮こまった須和がその背後から現れる。きれいなスーツの中一人、ボロの格好で――

多くの視線が注がれ、須和、ごくりと唾を飲む。

物部「お集まりの皆様、予告もなく独断で部外者を連れてきてしまったこと、まず心よりお詫び申し上げます」

どよめきが起こる。

物部「しかし今回、今後の成央市のまちをどう形づくってゆくべきか、話し合うための重要参考証言として、こちらの須和吟平くんに、ご無理を承知でお越し頂きました」

議員「物部さん、ルール違反もいいかげんにして頂かないと」

物部「成央市の、いえ日本の将来を担う若手職員の前でこそ心に響く声、そして社会の実態があると思います。ルールや慣習に縛られていては、何も変えられません」

議員「成央市は比較的財政状況も安定している。変革の必要があるようには思えんがね」

議員「それにそちらの方、成央市を代表する市民というより、非常に稀なケースかと」

物部「稀ではありません。成央市には現に一万人近くの生活困窮者がおり――」

若手職員「あの」

物部「――ましてさらに……何か?」

若手職員「聞かせてください」

物部「え?」

若手職員「そちら――須和さんでしたっけ、せっかくですから話、聞いてみたいです」

物部「(お辞儀をして、須和に)頼んだよ」

須和、緊張の面持ちで、ホワイトボードの前に出る。

須和「えっと、あの……どうも、ありがとうございます。こんな俺――僕に、話をさせてくださって。あの、僕はこの市で生まれ、29年間ずっとここで生きています。それで、今は無職でホームレス生活を送っています。えっと、それで……」

議員「前置きはいいから、早く本題をしゃべってくれないか」

議員「私らはそれほど暇じゃないんだ」

笑い声が起きて、中には弁当を食べ始める者も。

須和「(物部を見る)」

物部、「大丈夫」というように頷く。

須和「僕は、成央市にはすっごく感謝しているんです。そりゃ口じゃ言えないような嫌なことや泣きたくなるようなことはたくさんあったけど……でも、ここの図書館は広くて本がタダでいっぱい読めるし、公園はきれいで水がタダでたらふく飲めるし、公民館じゃタダのイベントにたくさん参加させてもらって、ホント、みんな親切で……こんなまちをつくってくれた皆さんには、感謝してもしきれません、はい」

皆の視線が須和に集中し始める。

須和「でも、奪わないでください。僕らみたいな弱くてバカで、それでもまじめに優しく生きようと強く踏ん張っている人たちの居場所を、つながりを、役割を――どうか、奪わないでやってください。缶拾いでも雑誌配りでも、何でもします。その仕事を取り上げないでください。どこでも、なるべく迷惑のかけないように過ごします。だから、テントや小屋を無理やり撤去しないでください――お願いします」

物部、感心して拍手をする。と、

議員「(ため息)呆れたよ」

物部の拍手、止まる。

議員「シェルターや自立支援センター、生活保護などの対策はちゃんと取っているはずだが」

議員「この際はっきり言わせてもらうがね、市の言うことに従わず、権利ばかり主張して好き勝手しているのはそちら側なんだよ」

物部「しかし保護の対象にもならず見過ごされている者たちが――」

議員「全部が全部、市が面倒見てやる訳にもいかんだろう! 偽善だよ、君」

物部「……」

須和「……」

議員「さて、それでは懇談会を始めましょう。(須和に)よかったら君も聞いていくか、現実の話でよければ」

須和「(悔しいが)はい」

と、端の席に座る。

物部「(小声で)よくやった」

と、須和に弁当とお茶を渡す。

ひきつった笑顔で須和、受け取る。

 

○同・廊下(夜)

ぞろぞろと議員や職員たちで去っていく。その後ろから、物部と須和が歩いてくる。互いに言葉なく――と、

そこに、一人の若手職員がふり返って駆け寄る。

若手職員「私、須和さんの話、とても心にしみました。どうか、頑張ってください」

須和「え……」

嬉しくなって物部、須和の背中を叩く。

物部「届いたじゃないか、ちゃんと」

須和「は……はは……どうも」

 

○成央東公園(明け方)

ベンチに並んで腰かけている須和と物部。缶コーヒーなどを手にして寒さを忍んでいる。だんだん空が白んでくる。

須和「はは……何の話ですかそれ」

物部「レ・ミゼラブルっていうロマン主義文学だよ。たくさん本を読んでたって割には名作を知らないな君は」

須和「お堅いのは全然」

物部「そりゃ偏見だ」

須和「偏った生き方してきましたから」

物部「でもな、そうやって司教に救われたジャン・ヴァルジャンはやがて名を変え、市長に……」

須和「? どうかしました?」

物部「いや、朝日が、ほら――」

赤々とした光が空に拡がっている。

須和「ああ……何やってんすかねぇ俺たち、こんな時間まで」

物部「ああ、そうだな……(立ち上がって)須和くん」

須和「はい?」

物部「君、市長選に出てみないか?」

須和「は…?」

物部「今から約三ヶ月後、四月二十日に成央市の市長選挙がある。おそらくこのままだと現市長の続投となるだろう。対立候補となるのも、当て馬的な元市議会議員の一人か二人。投票率だって、せいぜい三割程度。誰も関心なんてない、ただの消化試合だ」

須和「え? いや、それでなんで俺?」

物部「君が出れば、きっと何かが変わる! 市民の関心も、必ず高まる!」

須和「そんな、物部さんが出ればいいじゃないですか!」

物部「議員の私が出たところで同じことだ、主義主張の違いだけでは何の目新しさもない。しかし、君なら――」

須和「いやいや、実は俺中卒で何の資格もないし」

物部「市長の条件はたった一つ! 25歳以上の日本国民であること、それだけだ、学歴も資格も何も必要ない。それに君は意外と頭もいいし、弁も立つ」

須和「でも、そんな夢みたいな話――」

物部「夢じゃない、立候補という行動を起こすだけで、君の志次第で、現実になるんだ」

須和「でも実際は、お金とか――」

物部「供託金の百万なら私が出す。選挙が終われば戻って来る金だ、どうってことはない。選挙費用も――気にするな何とかする」

須和「そんな俺、責任持てねぇっすよ」

物部「いいか須和くん! これは、私の夢だ、私の我が儘でもある。責任は私が持つ」

須和「どうしてそこまで…?」

物部「あのとき、言ったろう? 私も本当は、もっと正しいことが、優しい行いがしたい、と。正直、一市議会議員の身分ではそれがなかなか、できそうもない……」

須和「……」

物部「しかし、私は信じているんだ。政治家とは、困っている人の生活をよりよくすることのできる職業だ、と」

須和「(失笑)バカみてぇ」

物部「なっ!」

須和「いや、バカみてぇに、真っ直ぐな人だな、って。きっと両親にすんげぇ愛されて育ったんじゃないすか?」

物部「ま、まあ、な……そんなことより、返事はどうなんだ須和くん!」

須和「……あの、俺、物部さんのコマにはなんないっすよ」

物部「え…?」

須和「万が一、俺が市長になったとしても、物部さんの言う通りにはならないかも、ってことです」

物部「(笑みがこぼれて)この~」

と、頭を両手でパンパン叩く。

須和「ちょ」

払いのけようとすると、頭を思いっきり撫でられる。

須和「(長らく忘れていた感覚で)……」

物部「やるんだ、もっと正しいことを。見返してやろう、君を見下して笑った連中を」

立ち上がって、

須和「はい」

と、頷く。