【シナリオコンクール入賞作】華よりパン! 転

 

○とんかつ屋「だるま」・店内

キャベツが手早く千切りにされていく。

厨房で店主が調理をしている。

そこへ――

未絵「店長!」

と、飛び込んでくる。

未絵「すみません! クビだけは……」

店主「一度の失敗でクビにしてちゃキリねぇよ。(かつを油に投入し)これが揚がっちまう前に早く着替えな」

未絵「はい!」

と奥へ行き、ロッカーを開ける。

店主「志藤ちゃん」

未絵「(前掛けを結びながら)はい」

店主「昼飯抜きな」

未絵「それだけは」

店主「なら半時間分の給料減らすか?」

未絵「そんなぁ、いつもの三倍頑張りますから……」

店主「そうは問屋が卸さねぇ」

未絵「それなら私のお肉で」

店主「冗談じゃねぇや」

未絵「冗談ですよっ」

と頭巾を結び留める。

かつが香ばしく揚がる。

 

○あかりの家・和室

足袋、長襦袢などを身に着けた未絵が、地味な小紋の着物に袖を通す。

あかりがその着付けを見ている。

もたつく未絵に、

あかり「あんた、もしかして初めてかい?」

未絵「え? な、何言ってんですか、これでもちゃんと成人式も終えて」

あかり「おばか、自力で着付けしたことないだろ、って言ってんだよ」

未絵「そりゃぁイマドキみんな――」

あかり「『みんな』は関係ない!」

未絵「はい」

あかり「やったことないことはできないで当たり前、だったら最初から素直に教えを請えばいい」

未絵「一人でできないので……手伝って頂けますか?」

あかり「よし。それじゃ、まず」

洗濯ばさみを袖から取り出し、未絵の後ろ襟をつまむ。

未絵「ええ? 何ですかそれ」

あかり「こうやって動かないようにしておくんだよ、慣れるまではね」

未絵「はぁ、なるほど」

あかり「それから裾の丈を――」

と、着物のずれやたるみを整えながら、

あかり「前座は地味な小紋だけ、だけど二つ目に上がりゃ綺麗な振袖も着られるようになる、その前にちゃんと一人で着られるようにしとかないと、ね」

未絵「憧れます、きらきらの振袖」

あかり「憧れで終わらせるんじゃぁないよ。はい、できた」

未絵「おぉ」

あかり「あとは帯だね」

と帯を取り上げる。

あかり「一度あたしが締めるから、しっかりその目に焼き付けるんだよ」

未絵「二三度見ないとちょっと無理かも……」

あかり「(未絵に帯をまわしながら)そんな時間はない。今日は絶対に遅刻は許されないからね」

未絵「それは昨日だって」

あかり「おだまり!」

と帯できつく締め上げる。

未絵「ぐぇ」

 

○お江戸上野広小路亭・2F・楽屋

小紋姿の未絵が緊張して立っている。

三人の講談師が鏡の前に並んでいる。

あかりが未絵の背をぽんと押す。

一番奥の二条院陽雀(講談協会会長)にあかりと未絵、近寄る。

あかり「陽雀先生」

陽雀「おぅ、どうしたぃ?」

あかり「この度わたくし香田あかり、新しく弟子を迎えたく存じまして――」

陽雀「弟子? あかり、おめぇ……」

と、隣にいた格上芸人が口を挟む。

格上芸人「陽雀先生、あかりにゃ弟子のしつけは無理ですぜ」

未絵「(思わず)そっ、そんなこと…!」

それをあかり、制す。

格上芸人「また気性の荒そうな女を……まだ懲りてないのかねぇ」

一番手前にいた青山も便乗して、

青山「あっしも反対に一票」

あかり、青山に目を向ける。

青山「いやね、あっしはあねさんのためを想って言ってんでさ。五年前、相当応えてたのは、あねさん自身じゃなかったですかい」

あかり「(うつむき)……」

未絵、歯を食いしばっている。

陽雀「さてと、反対二票。あかり、どう返す?」

あかり「……『イヤ、恥ずかしながら娘がないで弟子しかおらんのだ』。どうか人情を」

格上芸人「(返す言葉なく)ぐっ……」

未絵「?」

陽雀「かっかっか、徂徠豆腐と来たか。するてぇと何かい、その子が未来の荻生徂徠って訳かい」

未絵「え、私? おぎう?」

あかり「(耳打ち)立派になるんだろ?」

未絵「あ、はい、なります! 私、立派になってみせます!」

陽雀「おう、威勢がよくてけっこうけっこう。どうだぃ、青山?」

青山「いやぁ、陽雀先生に口応えできる身分じゃあございやせんで、あっしは」

陽雀「あかりと親しいお前さん自身の意見を訊きてぇんだよ、おれぁ」

青山「んー、それならあっしは……あねさんに『人を育てる』才があるとは思えませんね、正直」

あかり「あんたね(と声出さず口だけで)」

青山「(ベッと舌出し)」

陽雀「なるほどな、そう言われると」

青山「でも、賛成でさ」

あかり「え?」

青山「あねさんのためより、講談界全体のためを想って、賛成でございやす」

陽雀「はっ、またかっこつけやがって」

あかり「(小声)ヤな奴だよ、ほんとに」

青山「(仕返してやったり、と首すくめ)」

陽雀「おぅ、青山までこう言ってんだ。お前さんも異論はねぇな?」

格上芸人「情けは人のためならず。仕方ねぇ、賛成いたします、はい」

陽雀「よっしゃ。となると、ちと小せぇが、満場一致だな」

未絵「あの、えっと、じゃあ…?」

陽雀「いいよ、認めよう。今から君は講談界の一員だ」

未絵「や、やったー!」

あかり「(苦笑)はしたなくて、どうも……」

陽雀「構わんよ。それで、芸名はもう決まってんのかい」

あかり「あ、はい――(言い出しにくく)」

未絵「(代わって)またねです」

楽屋中が唖然として。

未絵「香田またね。ふつつかでございますが、末永くどうぞよろしくお願いいたします」

頭を下げる。

 

○帰り道(夜)

未絵(以下、またね表記)、電話をしながら歩いている。

またね「うん、まぁね……大丈夫、月曜日はそっち行くから、うん、え、終わったら?」

立ち止まり、夜空を見上げる。

またね「(笑んで)デートしよっか」

空には満月が輝いている。

 

○名護のアパート・内(夜)

物の少ないすっきりした四畳半の部屋に、きちんと折りたたまれた布団とローテーブルが置いてある。そこで名護、パンの耳をカップ麺の汁につけて食べながら、電話をしている。

名護「ん……予約しとくよ、洒落たレストラン、はは、何だよ変な声出して、いいじゃんたまには、さ、贅沢したいんだよ俺も」

横向き、壁の方を見る。

名護「うん、そんじゃ……何だよ、土日も講談とバイトで忙しいんだろ、切るぞ。ああ、月曜に、約束だ。じゃあな」

視線の先の壁にかかったカレンダー、九月三十日月曜日に赤く○がつけられ、「十年記念日」とメモしてある。

 

○あかりの家・和室

座卓を挟んであかりとまたねが対座している。

あかり「講談を志す者がいの一番に覚えるのが、この『三方ヶ原合戦』だ」

座卓の上には古びた台本や合戦の資料などが並べられてある。

またね「みかたがはらのかっせん……?」

あかり「誰と誰との戦いか、ぐらいは知っているだろう?」

またね「……師匠にウソをつくのと叱られるの、どちらか選べと申せば、叱られる方を選びます」

あかり「は?」

またね「知りません」

あかり「(叱れず)なら武田信玄のことは?」

またね「名前だけ」

あかり「まァいいよ。知らないのは仕方ない。ゼロからみっちり学ぶだけさね」

またね「はい、みっちり稽古、お願いします」

あかり「その前にまたね、自分用の張扇出しな。ちゃんと持ってきただろ」

またね「……いえ」

あかり「昨日一度作ってみせてやったね」

またね「はい」

あかり「自分好みに作って持ってこいとも伝えたね」

またね「はい」

あかり「ならなぜ作ってこなかった?」

またね「材料がなかったからです」

あかり「割り箸と紙で申し訳程度に作ってこようとも思わなかったのかい」

またね「それは思いも寄らないアイデアで。よっ、さすが師匠」

あかり「この、おばかっ!」

張扇を座卓で強く叩く。

 

○浜松城公園(日替わり)

「若き日の徳川家康公の銅像」。

それを見上げるまたねとあかり。

またね「へぇ、私のイメージではもっとこう、でっぷりした家康像しかなかったです」

あかり「だろう? やっぱり連れて来て良かったよ、あんたがあそこまで歴史オンチだと知ったときゃあたしゃどうしようかと」

またね「講釈師、見てきたようなウソをつき、ですもんね」

あかり「調子いいんだよ、ったく。あんなに駄々こねてたヤツはどこ行った?」

またね「そりゃ昨日いきなり『浜松行くよ』ですよ、私だって今日――」

あかり「バイトはなし何の予定もないだろ?」

またね「(芝居の稽古とは言えず)か、彼氏とデートとか……」

あかり「家康公とデートなさい。一日でも早く出世したいならね」

またね「はぁい。でも夕飯までには何としてでも帰りますから」

あかり「またあんたって子は修行を何だと」

またね「約束なんです! それだけは!」

と両手を合わせながら。

あかり「わかったわかった。そんじゃ早速、乗り込むよ出世城!」

 

○浜松城天守閣・外観

 

○同・1階・内

「徳川家康三方ヶ原戦没画像」の前で小学生のボランティアガイドがまたねとあかりに説明している。

ガイド「この絵に描かれた家康、一体何歳くらいに見えますか?」

またね「うーん、師匠と同じ五十歳くらい?」

あかり「一言多いよあんたは」

ガイド「残念! 実はこれ、三十一歳の家康を描いたものなんです」

またね「ええっ、私より若いの、これが!?」

ガイド「はい、なぜこれがそんなに老けて見えるかと言いますと、家康が武田信玄に惨敗し、浜松城に逃げ込んだときの姿を自戒として描かせたためであります」

またね「へぇ、家康も若いときは苦労したんだ」

ガイド「以上です。何か質問はございますか?」

あかり「君、あたしの弟子になって講談やらないかい?」

ガイド「?」

またね「ちょっと、師匠!」

あかり「あんたよりよっぽどしっかりしてると思うけどねぇ」

またね「もぉ」

 

○同・3階・展望室

またねとあかりが景色を眺めている。

またね「なんだか……小さいですね、浜松城」

あかり「無礼な、その口、もっと慎ましくならないもんかね」

またね「もっと賢くて上品で世渡り上手だったら私、今頃四畳半には住んでませんよ」

あかり「『人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず』」

またね「何ですかそれ?」

あかり「家康公の遺訓さね。あたしだってあれやこれや望めば至らないこと、取り返しのつかない過ち、他人や世間に対する歯痒さ、山ほどある」

またね「(あかりの横顔を見つめ)……」

あかり「でもね、『及ばざるは過たるよりまされり』」

またね「足りない方が多過ぎるよりいいってことですか?」

あかり「ああ。小ささや未熟さを思い知るから、人は精進し続けることができるのさ」

またね「はぁ……」

あかり「あんた、こういうのに対する反応は薄いんだねぇ」

またね「こう、心の中で噛みしめている感じなんですよっ」

あかり「わかってるよ。で、どうだい、共感できそうかい?」

またね「『三方ヶ原合戦』の話にですか……そりゃもちろん。私、何度も負け戦を経験してきましたから」

あかり「(微笑み)よかったじゃないか、馬鹿で下品で世渡り下手で」

またね「それ、褒め言葉として受け取っておきます」

と、微笑み返す。

 

○荒川べり

名護、まどか、山野、土手に川の字に仰向けになっている。

まどか、名護の方に寝返って、

まどか「ねぇ由基人くん」

名護「ん?」

まどか「もう二時だけど……やんないの? 稽古」

名護「ああ、そうだな」

山野「なんでだよ、まだ座長来てねぇだろー」

名護「ああ、それな……未絵は今日、来ない」

山野「(起き上がり)はぁ? 聞いてねぇぞ俺」

まどか「(起き上がり)まどかも聞いてない」

名護「(起き上がり)なんか急な用事が入ったんだと、それで今日もまた――」

まどか「(立ち去ろうして)帰る」

名護「(まどかの腕を掴む)待てって」

まどか「なんで? まどかだって、資格の勉強したり婚活したりで忙しいんだから……放して!」

名護「わかった、わかったから、ひとまず落ちつこう」

まどか「(むすっと)……」

山野「なーんだ結局未絵のヤツ、両立なんてできそうにねぇじゃん、コウダンと劇団」

まどか「それならいっそ、こんな小さな劇団、解散しちゃった方がいいと思う」

名護「……」

まどか「由基人くんは? どう思う?」

名護「俺は……」

 

○犀ヶ崖資料館・内

古民家のような資料館の中でまたねとあかり、モニターから流れる資料映像(講談師による『三方ヶ原合戦』語り)を見ている。

真剣に見入るまたねの様子にあかりも満足げ。

 

○荒川べり(夕)

夕日が沈みゆく中、名護が独り、川に向かって小石を投げている。

二度投げ終えたところでうつむき、ポケットからリングケースを取り出す。

名護「……」

ケースを開けると、指輪が輝きを放つ。

名護、指輪を手に取り、投げようとする。が、ためらい、投げられず……

名護「情けねぇ……」

 

○むつぎく・外観(夕)

「昭和37年創業浜松餃子」のポスター。奥まった小さな入口の前には、餃子・ラーメンの看板がある。

店主の声「へい、お待ち」

 

○同・店内(夕)

円形に盛られた餃子の中心にもやしが添えられた浜松餃子。

テーブルにまたねとあかりが対座している。

またね「うわー、美味しそう!」

あかり「老舗だからね、ちゃんと味わっていただくんだよ」

またね、餃子を口に入れる。

またね「んー!」

あかり「(娘を見るような眼差しで)よかったねぇ、本当に」

またね「?」

あかり「あんたが来てから、ハリがでたよ」

またね「師匠……(嬉しい)」

あかり「(微笑み)そんだけの明るさや前向きさがあれば、いつか絶対に売れる。失くしちまうんじゃないよ、たとえ何があっても、さ」

またね「はい!」

と、餃子を勢いよく口に入れる。

またね「んまい!」

店主「へい、ホルモン焼」

ホルモン焼がテーブルに運ばれる。

あかり「どうも」

またね「あーそれも美味しそう! 一口(ください)!」

あかり「気が多いんだよ、ったく」

またね「いいじゃないですか、何でも経験、経験」

あかり「太って彼氏にフラれても、あたしゃ知らないからね」

と、ホルモン焼の皿を差し出す。

またね「わー……い(思い出した)師匠、いま何時ですかっ!?」

あかり「あら、あんた腕時計してなかったかい?」

またね「(何もない腕を見て)ああ、忘れてたー!」

と、餃子を慌てて口いっぱいに入れる。

他の客たち、驚いて見ている。

あかり「はは、どうもぉ」

と苦笑し、会釈する。

またね「(食べながら)師匠、早く! 早く!」

 

○走る新幹線こだま(夕)

(できれば)富士山を背景に勢い良く走り抜けてゆく。

 

○帰り道(夜)

またね、憔悴して駅から出てくる。

またね「はぁー、やっっと着いた……」

ふと立ち止まり、

またね「そうだ、名護くん」

と、急いで携帯電話を取り出す。

不在着信やメールが溜まっている。

またね「あぁーん、もぅ……」

電柱(壁)にもたれかかって、

またね「てゆうか、怒ってるだろうなぁ、芝居の稽古どころかデートも行けなかったし……最悪だ、私……しょうがない、メールでも入れとこう」

と、携帯でメールを打つ。

宛先「名護くん」

件名「ごめんね」

本文「待ってて。すぐ行くから」――

「ブー」とブザー音が鳴り響く――

【シナリオコンクール入賞作】華よりパン! 結

 

○お江戸日本橋亭・演芸場

その音と共に、幕が開く。

メクリには「またね」と名が記されてある。

囃子に合わせて、高座に上がるまたね。

またね「どうも初めましての方もご贔屓の方も、本日はお忙しい中足をお運びくださって、誠にありがとうございます。前座を務めさせて頂きます、香田またねと申します」

拍手。

またね「それでは、ふつつかではございますが、本日は特別にこの場を借りて、不肖、香田またねの身に実際に起こった事件を、修羅場を交えてお伝えさせていただきたく願います」

張扇をパン! と叩く――

 

○回想・洋風レストラン・内(夜)

洒落た店内で、名護がぽつんと一人、待っている。

またねの声「時は平成二十五年九月三十日の夜。ところは東京下町、創作料理だかなんだかの小粋な料理店」

ウェイターがやって来る。

ウェイター「申し訳ございませんお客様、そろそろ閉店のお時間でございます」

名護「そうですか。どうぞ、お気になさらず」

ウェイター「いえ、そういう意味で申し上げているのではありません」

名護「わかっています。大人しくしていますから、もう少し待たせてほしいんです」

ウェイター「そう申されましても……」

またねの声「その男、全く大人しくない。まるで子供。話が通じません」

名護「約束なんです! 待たせてください!」

またねの声「と、何やらのっぴきならない事情を抱えているよう」

ウェイター「仕方ありませんね」

またねの声「と、情けをかける世の中じゃあございません」

ウェイター「お店の外でお待ちください」

と、名護の腕を持ち上げ、連れ出していく。

名護「あ~れ~」

 

○お江戸日本橋亭・演芸場

高齢の観客たち、笑う。

またね「おやめくださいお給仕様、となよなよした男。昔と比べ、契りなど軽くやわくなった現代、一体何をそんなに遅くまで待っていたのでしょうか」

張扇を叩く。

 

○回想・洋風レストラン・外(夜)

雨が降っている。

軒先で、肌寒そうに待っている名護。

またねの声「と、そこへ来たるは――」

雨に濡れながら、駆けて来るまたね、

またねの声「どじでのろまな女芸人」

雨宿りするように、軒先の下に入る。

またね「(息を弾ませ)名護くん、ごめん」

名護「もう聞き飽きた、そのセリフ」

またね「そう……だよね、はは……」

名護「なぁ、未絵?」

またね「うん?」

名護「俺たちホント、長いこと、いいかげんに生きてきたよな」

またね「いいかげんってことは……」

名護「楽しかった。いつまでも青春、って感じで」

またね「うん、それは私も」

名護「でも、もうつけよう、けじめ(リングケースを取り出し)」

またね「へ?」

名護「ん(受け取れ、と仕草)」

またね思わず受け取り、箱を開ける。

指輪――

またね「あ……」

名護「俺たちもう、結婚しちまおう」

またね「……!?」

またねの声「結婚の契り、それは人生でもっとも幸せな宣言のはず。ですが、ですが――」

またね「できない……」

名護「(覚悟していた返事で)……」

またね「できないよ、私……もういい歳だけど、もしかしたらこれが、いまこの瞬間が最後のチャンスかもしれないけど……でも、だけど……できないよ、結婚」

またねの声「芸のためなら、たとえ女でも男を泣かします」

名護、涙をこらえるように口を押さえている。

降り注ぐ雨。

パン!

 

○回想・荒川べり

またねを平手打ちしたまどか。

またね「まどか……ちゃん?」

またねの声「そんな馬鹿な女の目を覚まさせてくれるは、いつも決まって、勝手知ったる仲間たち」

まどか「まどかは……ずっと、我慢してました。由基人くんのこと」

山野もいて、ひどく動揺している。

まどか「いろんなこと、貪欲に手に入れてきたけど、ゆいいつ、由基人くんだけは奪えませんでした」

またね「……」

まどか「だって、由基人くんはいつだって、未絵さんだけを、見てたから」

またね「……でも、私は……」

山野「その日、九月三十日、何の日だったかお前わかってんのかよ」

またね「え……」

山野「お前と由基人の付き合って十年の記念日だろ」

まどか「それなのに、何やってんですかもぉ!」

またね「私……」

まどか「人を振り回すだけ振り回して……未絵さんは人として最低です!」

またね「……(反省)」

まどか「でも。まだ、きっと取り返しはつきます」

またね「?」

まどか「未絵さんと由基人くんの絆はそんなやわなものじゃないはずだから……」

山野「切っても切れない腐れ縁!」

またね「うん……」

まどか「もぉ、わかったら早く行ってください!」

またね「行くって、どこに…?」

山野「由基人のもとに決まってんだろーよ。どうせあいつのことだ、家にひきこもって一人で泣いてらぁ」

またね「うん、そうだね……」

山野、まどかの顔を見て――

またねの声「持つべきものは友。このときほど、それを思い知ったことはございません」

またね「ありがと! 私、行ってくる!」

と、駆け出す。その走る姿――

またねの声「後先考えず、フッた恋人のもとへと脱兎のごとく駆けてゆきます。親譲りの無鉄砲、そうして三十余年、山あり谷あり何とか生き抜いて参りました」

歯を食い縛って、一生懸命で。

 

○回想・名護のアパート・外

またね、ドアをどんどん叩いている。

またねの声「しかしこの世には、どんなにあがけど、どれほどもがけど、どうにもならぬ事情がありまして――」

またね「名護くん、私! いたら返事して!」

ふいにドアが開くと、そこには幽霊のように名護が立っていた。

名護「……(生気がない)」

そしてその手には包丁が握られている。

またね「名護、くん……?」

 

○お江戸日本橋亭・演芸場

息を呑む高齢の観客たち。

またね「覆水盆に返らず。一生懸命水をすくおうと、すくえるのは泥水だけ。やがて絶望した男は私の目の前で、手にした刃を自らの首元に向けました」

張扇を包丁に見立て、

またね「『どうか……どうか俺を恨まないでくれ。あの世でお前が幸せになるように祈っているから。これが俺の、お前への最後のワガママ……』」

その張扇を釈台に叩きつける。

 

○回想・名護のアパート・内

包丁を手にした名護に、

またね「だめ!!」

と、腕をひっつかみ、

名護「放せ!!」

またね「だめだったら!!」

名護「放せって!!」

揉み合うように、部屋の中へ――

またね「絶対に……絶対に、死なせない!!」

包丁を名護の手から力ずくで放り落とさせ、倒れこむ。

名護「……未絵……?」

覆いかぶさったまたね、泣きじゃくっている。

またね「私……私ね、不器用だし馬鹿だし、どうしたら人が幸せになれるのかなんて、わからないけど……だけど、結婚しなくても、売れなくても、幸せになってほしいよ……私も名護くんも、みんな、みんなこの世で幸せになりたいんだよぉ……」

名護「……」

またね「私たち、頑張るから……一生懸命、頑張って生きるから……だからお願いだよ、神様ぁ……」

名護「……(微笑んで)ばかやろう……」

土間に倒れたまま、抱き合う二人。

名護「待ってるよ」

またね「……へ?」

名護「神様もきっと、待っててくれるから。だから俺も、お前を待つことにする」

またね「どのくらい?」

名護「長くて、三年?」

またね「もぅ……けち」

名護「……ごめんな」

またね「?」

またねの頭にそっと、口づけをする。

 

○お江戸日本橋亭・演芸場

高座でまたねが優しく釈台を叩く。

またね「たとえすくえたのが泥水だけだったとしても、泥水に咲く華もあり。そしてその泥が濃いほど、蓮は大輪の華を咲かせるのだそうな。(叩)『芸道に咲くほとけ華』の一席、これにて読み終わりといたします」

深々と礼をする。

拍手――

山野「よっ、ブラボー!」

そのスタンディングを、

まどか「ありえないから」

と、制する。

顔を上げるまたね――

客席最後列で、山野とまどか、そして名護が笑顔で手を叩いている。

名護、ガッツポーズを見せる。

またね、笑み。

と、舞台袖から、

あかり「(小声)おばか、早くハケな」

またね、「いけね」という風に、頭を張扇でポン、と叩く。

 

○東京下町

その少し寂れた風景――

しかし大人たち(名護、山野、まどか)も楽しげに缶蹴りでもしているのだろうか、子供のように駆け回っている。

 

○下町文化小劇場・外観

小さな、しかし近代的なビル。

入口に「劇団なごりゆき第一回公演、『神様のパンの耳』」のポスターを張った表看板が立っている。

演出・脚本・主演「名護由基人」が大きな文字と奇抜な画像で表されてある。

そこへ――

またね「師匠、早く早く! 始まっちゃいますよ!」

きらきらの振袖姿のまたねが小走りで、

あかり「ったく、焦らせんじゃないよ、そそっかしい」

遅れて紋付姿のあかりがやって来る。

またね「友との約束を守るが人の道」

あかり「減らず口叩いてる間に始まっちまうよ」

と、先に行こうとする。

またね「あ、師匠、ちょっと待ってください!」

あかり「どした? あんたが早くって言っといてからに」

またね「その、なんてゆーか、彼と会うの、けっこう久しぶりで、それに……」

あかり「(ため息)なんだい?」

またね「まだ、あの返事、どうしようか迷ってて」

あかり「なんだい、そんなことか、大丈夫だよ。もうとっくに新しい彼女ができてるだろうからね」

またね「えー、そんなこと…!」

あかり「(笑ってまたねの背を叩き)いいじゃないか、そんときゃまた奪い返せば、さ」

またね「そりゃまた盲点」

あかり「ほら行くよ」

またね「あ、師匠!」

あかり「(まだ何か)?」

またね「私、キマってますか? ビシっと」

と、振袖姿を見せ。

あかり「ああ、粋だねぇ」

またね「へへ、もう二つ目なもんで」

あかり「こりゃどこからどう見ても四十前には見えないよ、自信を持ちな」

またね「へへへ。って、私はまだ…!」

開演のブザーが鳴る。

 

○同・ホール内

狭い舞台上でマッチ売り役の山野が、淑女役のまどかにすがりついている。

マッチ売り「どうかマッチを、マッチを買ってくださいませんか? お願いします」

淑女「そんな時代遅れの物、誰が買って? そんなのイマドキ、タダでもらえるわよバカじゃないの!」

マッチ売り「そんなことおっしゃらずに、どうか…! このマッチは丹精こめた手作りのマッチでございます、ライターにはない良さが、温かみがございます。ですから」

淑女「しつこいっ!」

と、ヒールで蹴飛ばし去って行く。

マッチ売り「ああ、痛い、けどなんか嫌いじゃないっ」

観客、笑う。

マッチ売り「でもやっぱり、みじめ……」

と、マッチを一本擦る。

とつじょスモークが巻かれ、神様役の名護が現れる。

マッチ売り「え……誰!?」

神様「見てわからぬか?」

マッチ売り「物乞いなら勘弁」

神様「違う! 逆だ。私は……」

マッチ売りにパンの耳を与えて、

神様「神様だ。頑張る者たちに、祝福を」

客席最前列のあかりとまたね――

またねの声「私の人生はまだ――」

マッチ売り「へ? 祝福がパンの耳かよ! そりゃないよ~」

神様「ええい愚か者、それ一つで三日はしのげるぞ」

マッチ売り「ちぇ、けちな神様」

神様「(歌舞伎のように)な~に~を~」

大笑いする、またねたち観客。

またねの声「始まったばかりだ」

 

 

(了)